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翻刻
九八
次にたしなめられたといふのは此渡しで、秀吉は仕方なく軍を三日
留めたといはれてゐます。この架橋について残る一つの伝説は、い
つの頃ですか江戸から大工が来て、工事にかゝりましたが流れが強
くて成功しません。そこで二川の窟観音に祈願をかけると満願の夜
夢に観音が現はれ、向ふ岸へ縄を張つてそのたるみだけ反らせよと
教へられたので、其通りにして成功しました。大工は江戸へ帰ると
其御礼に人々を説いて立派な観音像を造り、窟観音へ建てました。
それが今あの巌上に建つ観音像だといふのです。
この渡船は船町のものが引受けてゐましたので、其為に色々な特権
を持つてゐました。こゝへ出入する荷物に運上をとること、こゝか
ら伊勢へ渡す航路の権利など其重なものでしたが、大名などがこの
渡船にかゝりますと、先づ殿様が舟に召され、家臣共一同河岸に平
伏する中を漕ぎ出すのですが、向岸へは行かず上流へ漕いで行く、
其間に家臣共がすつかり渡つて向ふ河岸で平伏してゐる処へ殿様の
船が着いて上陸するといふ呑気千万なやり方だつたさうです。
今度は橋を渡つて下地町に参りませう。
明治天皇御小休所 は今郵便局の隣りで夏目直一氏の宅ですがこ
れは明治十一年十月御東行のとき大橋の流失で仮橋を御通り願つた
際、御輿に召換られる為の御休憩所でこの仮橋をお渡りになると船
町の加藤発太郎氏の宅で鳳輦に御召換になつたといふ尊い聖跡であ
ります。
少し行くと右側に大きな寺があります。
聖眼寺 といひまして真宗高田派の寺ですが、もとは八名郡の
吉祥山にあつたのを慶長九年こゝに移したといひます。開山は藤原
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