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翻刻
一〇〇
房前の第五子随信房行円で、天福元年親鸞上人を迎へてから随喜し
て天台宗を真宗に改めたといひます。本堂も庫裡も立派なものです
が、この西手にある太子堂、これは此寺が移転して来ない前からあ
つたもので、永禄七年家康が吉田城を攻めた時に陣を取つた処だと
いひます。この事は朝野旧聞裒稿や牛久保密談記にも出て有名な話
となつて居ります。
その南に霊亀の上に立つ四尺許りの碑がありませう、これは芭蕉
翁の句碑で、芭蕉翁の三字は白隠禅師の書、其下の、
「ごをたいて手拭あぶる寒さ哉」
それと他の三面にある碑の由来は横井也有の書いたものです。建
てたのは明和六年ですが、其以前に至つて小さいのがありそれが磨
滅したので再建したらしく思はれます。このごといふのは松の落葉
の事でして、こちらの方言ですがそれを通りがかりの芭蕉が扱つた
のは面白いと思ひます。この下地町を西に出はづれると小坂井まで
松並木が続き、昔の情緒を味ふことが出来ます。芭蕉が咏んだごを
たいての句はその松並木の感じでありましたでせう。凡そ一里近く
続いてゐますがそれが昔の然菅の渡りで、海苔がとれたり白魚がと
れたりする前芝といふのはこの下流の河口一帯の海面です。
これから引返して大橋を渡ります。先程申しました大橋址に向ひ
合つてありますのは、
龍運寺 といふ浄土宗の寺で、創立は橋と同様天正年間、それ
に山号を橋本山などゝいふ処から諸国の例に見るやうに橋の鎮守か
とも思はれます。寺としては珍らしく北向で、然も橋に向つて居る
処などさう思ふも無理でないと思ひます。本堂は明治七年に焼けて
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