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コレクション: 愛知県豊橋市関連資料

東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 - 翻刻

東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 - ページ 53

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                        一〇二 三十八年の再建ですが、観音堂の方は元禄二年の建築で、三間二面 の入母屋造り、向拝が二重についた形ですがよく整つてゐませう。 本尊は阿弥陀如来の立像、観音堂の方は三寸五分許りの如意輪観音 座像でよい出来です。境内の墓地には此地の生んだ大数学家斎藤一 握の墓があります。詳しい履歴は分りませんが数学では神様のやう に云はれる牟呂の牧野伝蔵や、伊豆韮山の代官江川太郎左衛門など その門人だつたといひます。 納豆    西隣りにある服部家は家号をいがやといひまして、そ の先に分家があり両家共醤油醸造をなし、市内では旧家ですが、こ の両家が近頃納豆の製造を初め、本家では浜納豆、分家では八橋納 豆の名で附近は勿論遠く名古屋、東京までも進出し市の名産といは れるやうになりました。この納豆は一般に浜名納豆といはれるもの で関東の糸引納豆とは違ひますが至つて風味のよいものです。  これから引返して船町の通りを南へ参りませう。この十字路から  西へ十町許りの野田の法興院に、 稲田文笠  の墓があります。文笠は谷文晁の門人でこの地の産で すが安政三年召されて藩の画師となり明治六年歿して居ります。墓 は文笠の生前に建てられたもので碑背一面に自筆の出山の釈迦が彫 りつけてありまして面白いものであります。  次は十字路を越して次の小路から守下へ抜けます。この坂下にあ  る灯籠は、昔小坂井からの船着場で其目印に建てたといふ伝説が  ありますが建つたのは銘文にある通り嘉永三年で、勿論信用は出  来ません。この上に 称名院   があります。これは寛永十九年に悟真寺の隠居所とし                         一〇三