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翻刻
一〇六
つた処で、その大聖寺は今石塚町にありますからそれへ参りませう
裏手に当る市民病院の横を通り船町線をこへて突当りに松の一叢
がありませうこれが今申しました
大聖寺 で本来は寺でなく、醍醐三宝院派の直末修験宗の触次
所であつたのを、私かに永宝院と呼んでゐました。それを文化二年
になつて本山から寺と認められ寺号を貰ひ後此処へ移つたのですが
此処には以前から庚申堂があつて同居した訳で、今日でも石塚の庚
申と呼ぶ方がよく分ります。何もありませんがこの堂の下から附近
へかけて御覧の通り貝塚で、時々来て探す内に土器の破片を見付け
ましたので、石塚貝塚と命名し人類学会へ報告し、雑誌に発表しま
してから研究者の来訪もあり、地名表にも私の報告として載つて居
ります。発見品は特有の紋様ある弥生式土器で、この附近から磨製
石斧を採集したものもあります。この貝塚にあるサルボーといふ貝
は帝大の村松瞭博士によると暖海産のもので、現在は長崎以南でな
いとゐないさうですが、モールス博士は東京大森貝塚でこれを発見
して居り、従つてこの辺は石器時代少くとも現在の長崎以南の暖か
さであつたらうとの事です。
これから鉄道線路をこへて西に参りますが、都合で一度宿へ帰り
昼食を頂いてから出掛る事に致しませう。すぐ近くです。
さあまた出掛る事に致しませう。今度は踏切をこえ、真直ぐに行
きますと右側に寺があります。
長全寺 といひます。こゝの墓地に当地としては有名な国学者
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