← 前のページ
ページ 60 / 154
次のページ →
翻刻
一一六
ん。今一つ面白いのは木彫の獅子で、右が大きく左がやゝ小さい二
尺内外のものです。すつかり腐つて心だけが残つてゐますが、これ
は鎌倉時代にまで遡るものかも知れません。
古文書には朱印状が八通、八幡宮略記、牟呂村由来記、古式神事
記などがあり、外に宮座を書いたものがあります。慶長七年のと元
和九年の二通でこれは非常によい資料です。棟札には天文十一年以
後のが十数枚あり、城主などとの関係を知る上によい手懸りとなつ
てゐます。
もと社前の西寄りに神宮寺がありまして、其寺の鐘楼だつたのが
今あるあの鼓楼で、これには明応元年の鐘が懸つて居ましたが維新
の頃弘治四年の大般若経と共に失はれました。此神宮寺は今楽法寺
といひましてこの西三町許りの処にあります。この寺には高さ三尺
程の十一面観音像がありますが、その作者は木食五行上人で八十三
歳のときの作とあり、又高さ五寸許りの大黒天像が同上人の作だら
うといはれて居りゐます。
これ位にして今度はこの裏手に当る坂津寺址へ参りませう。牟呂
用水を渡るとすぐです。御覧の通り此辺には貝殻の堆積が多く、
到る処が貝塚で、時々捜して見ますが遺物は余り見付かりません
それに貝そのものが新らしいのでこの地方ではずつと後世まで貝
塚が構成されたのでせう。いや現在でも出来つゝあるのです。西
の方一帯の海は渥美湾で、蛤、あさりの産地です。
坂津寺址 は御覧の通り少し高くなつて、地形から云ふと一寸突
出した岬です。この直下は昔の然菅海で、言ひ伝へでは此処が湊で
対岸の渡津からこれへ渡つたといつてゐます。記録にはありません
一一七