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コレクション: 愛知県豊橋市関連資料

東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 - 翻刻

東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 - ページ 60

ページ: 60

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                        一一六 ん。今一つ面白いのは木彫の獅子で、右が大きく左がやゝ小さい二 尺内外のものです。すつかり腐つて心だけが残つてゐますが、これ は鎌倉時代にまで遡るものかも知れません。  古文書には朱印状が八通、八幡宮略記、牟呂村由来記、古式神事 記などがあり、外に宮座を書いたものがあります。慶長七年のと元 和九年の二通でこれは非常によい資料です。棟札には天文十一年以 後のが十数枚あり、城主などとの関係を知る上によい手懸りとなつ てゐます。  もと社前の西寄りに神宮寺がありまして、其寺の鐘楼だつたのが 今あるあの鼓楼で、これには明応元年の鐘が懸つて居ましたが維新 の頃弘治四年の大般若経と共に失はれました。此神宮寺は今楽法寺 といひましてこの西三町許りの処にあります。この寺には高さ三尺 程の十一面観音像がありますが、その作者は木食五行上人で八十三 歳のときの作とあり、又高さ五寸許りの大黒天像が同上人の作だら うといはれて居りゐます。  これ位にして今度はこの裏手に当る坂津寺址へ参りませう。牟呂  用水を渡るとすぐです。御覧の通り此辺には貝殻の堆積が多く、  到る処が貝塚で、時々捜して見ますが遺物は余り見付かりません  それに貝そのものが新らしいのでこの地方ではずつと後世まで貝  塚が構成されたのでせう。いや現在でも出来つゝあるのです。西  の方一帯の海は渥美湾で、蛤、あさりの産地です。 坂津寺址  は御覧の通り少し高くなつて、地形から云ふと一寸突 出した岬です。この直下は昔の然菅海で、言ひ伝へでは此処が湊で 対岸の渡津からこれへ渡つたといつてゐます。記録にはありません                         一一七