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翻刻
一二八
た。それから明治十一年に有栖川宮熾仁親王様から社号の御染筆を
頂いて、これはその写しが鳥居に掲げてあります。神職は代々川出
氏で当主は今宮内省掌典部に奉仕し居られます。
社地全体が貝塚ですが土器、石器、骨角器などの発見品が川出家
に所蔵されてゐますが、縄紋系統のもので其内土面は珍品の部に属
しませう。尚同家にはもと神社にあつた懸仏数十体が保有されてあ
るといひますがまだ拝見して居りません。
五社稲荷 は菟足神社から一町程東にあります。大した社殿では
ありませんが中々信仰を聚めたお宮で、それに境内そのものが前方
後円の古墳でして、社殿はその後円部に建つて居ります。主軸は南
西から北東にありまして附近には培塚らしいものもあり、相当な貴
人を葬つたものらしく、三河国造の菟上足尼の塚といふ説もありま
すが、これはどうでせうか。
医王寺 はこの東に当る字篠束にありますが、此処から奈良朝
時代の古い立派な瓦を発見して居りますのと、和名抄にある篠束郷
がその附近である事から、これは街道に添ふ官寺で、或る時代然菅
を渡る要津ではなかつたかとも考へられますが、もしさうとすれば
奈良朝時代のことでなければなりません。
欠山貝塚 この五社稲荷と菟足神社との中間に欠山貝塚がありま
す。こゝは愛知電鉄が出来るとき土取場となり、其工事中石器、土
器など色々なものが出ました。不思議な事にはすぐ隣りの菟足神社
境内から発見されるものは縄紋系統のものであるのに、此処から出
るものは悉く弥生式系統のもの許りでしたが其時は心なき土工等の
手にかゝり破壊されたり散逸して仕舞ひました。
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