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翻刻
一三四
の清野博士の所有に帰し、再び此地では見られなくなつた事は遺憾
です。其後土木工事で土取場となり今では紀念碑の外何物も残つて
ゐませんが、破片位なら採集も出来ませう。
此次は北方に見える森を目当に歩きますと、三町許りで伊奈の村
落に達します。この森に寺があります。
東漸寺 と云ひますが、明応頃の創立で、開山を享隠と云ひ、
尾張知多郡の宇宙山乾坤院の弟子でしたが、兄弟子の周鼎が萩村龍
源院の開山となり、同じく大素が八幡村西明寺の開祖となつたと云
ひます。此処の城主本多隼人佐泰次の信仰を受け、この寺を創立し
ました。
此開山について面白い話が残つて居ります。それは或時この附近
に隠れなき大中一介と云ふ大盗が此寺を襲ひました処、和尚に説破
されて弟子となつた、これが第二世の一介禅師で、又第十五世傑仙
と云ふが、撿地のとき此裏を通る平坂街道に沿ふて一夜の内に土手
を築き、この内は凡て寺領だと主張したので、今広大な田地を所有
することになつたと云ひます。そして其傑仙の墓だけは代々の墓地
になく、これは遺言でその道添ひに営まれました。
現住職は宇井伯寿さんで、今東大教授として東京に居られますが、
仏教哲学の世界的権威です。堂宇は度々焼けて新らしく古文書、記
録なども多少はあります。門前に塔頭が二ヶ寺ありましたが今はあ
りません。其代り十数ヶ寺の末寺を控へ中々格式のよい寺です。
墓地には寛永三年と同廿年の碑で板形へ五輪を半肉彫にしたのが
珍らしく、薪部屋の屋根に正徳二年吉田花ヶ崎佐藤仁右衛門が作つ
た鬼瓦があり、これはよい資料です。
一三五