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翻刻
一三六
次は此寺と関係が深かつたすぐ西の八幡社です。
伊奈八幡社 は社伝では昔牛頭天王を祀つてあつたがいつの頃か
吉田へ移したので、末社の八幡社を本座に直し氏神にしたと云ひま
す。城主泰次は城の鎮主と崇め社殿を造営したり鐘を鋳て奉納した
りしました。其鐘は一時所在を失ひましたが、後年社地の西に隣る
畑地から発見し神社に戻つて現に宝蔵に納まつてゐます。明応六年
の鐘で、且那隼人佐泰次、同十郎衛門とあります。
其外古文書などもありましたが、天保年間社家の火災で大方失は
れたさうです。天正の頃その後裔本多俊次が社殿を修造したり、神
田を寄附し、昭和二年郷社に列せられたとき、膳所の本多家から先
祖代々が戦場に用ひたと云ふ鉄の面当を献じて居ります。境内の右
手にあるのは天神社で、社殿は小さい割合によい出来で徳川中期か
も少し前位の手法がよく現れてゐます。これはもと社家の邸内にあ
つたのを明治十年此処へ移したものです。此社の宝物に菅公の画像
がありまして、昔から神酒を供へるとお顔の色が赤く変ると云ひ伝
へてゐます。
本社の前を西へ村落を出はづれた処に、一寸とした松林がありま
す。此処は伊奈城主でありました
本多家墓地 で皆で四基あります。西寄りの二基は本多助太夫忠
俊と其夫人のもの、中央は本多修理亮光治、東のは本多彦八郎忠次
ので、こゝで聞く松籟は何となく戦国時代の矢叫びに似たやうに思
ひます。
この南に当るすぐ近くに前芝小学校があり、其地続きから大正十
二年十二月銅鐸を発見して居ります。
一三七