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一四四
てに行けばそこです。この寺に芭蕉の句碑があり、
「紅梅や見ぬ恋つくる玉すだれ」
の句を彫つてあります。建てたのは天保十四年で、この句はこの
地の白井梅阿といふ門人のもとへ杖を止められたときのものださう
で其時御油のある家の井戸へ雷が落ち早速蓋をしたと聞いて、翁も
梅阿を連れて見に行き、さて雷とはどんな物かと蓋を取つて見ると
何もゐなかつたといふ話も伝はつて居ります。
その句碑の隣りに一対の灯籠を供へた石碑があります。これは国
府市の開祖といはれる代官国領半兵衛の手代の墓です。この国府市
といふは毎年冬にこの町で盛大な市が立ちます。余程古くから行は
れてゐましたがその頃中絶してゐたのをこの片岡丈右衛門が再興し
たので、或は平安朝以来の市の名残ではないかと思ひます。
これから道順は十字路を北にとつて台地へ上り総社を見て、尚東
に進むと八幡村で八幡社国分寺国分尼寺などへ参ります。
総社 は平安朝時代一国の総社で、三河国内の神社を国司が
こゝで遥拝したのに初まり、色々の神事を行つた処から神社に発達
したものです。今の本殿は室町時代の建築と思ひますが頽廃に頻し
て居りますので、上屋が出来て居り、流造りの杮葺きで、又社殿の
配置に注意すべきものがあります。
永和四年、天文十八年などの棟札もありますが、それよりも珍ら
しいのは境内から発見された瓦で、奈良朝のものとして学界では相
当知られたものです。又土塀の下部の石垣が内側は垂直で外側に傾
斜を持ち、其外側の石が大きく内側の石が小さいのは古い形式だと
いふ事も聞きました。一体に外の神社と違つて居る点は意味のある
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