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翻刻
一四六
事でせう。森の囲りが少し高くなつてゐるのは土塀の址で注意する
と布目瓦の破片など散乱して居るのが見られます。
八幡社 は平安朝以来の古社で、社伝では源頼朝が社領として
一千町歩の地を寄せたといひますが、これは疑はしくあります。け
れども今川氏真以来五十石の朱印地を持つてゐたことは確かで、参
道の両側にある池は放生池でせう。
拝殿は徳川初期のもので重味のある建築ですが、其奥にある本殿
が余りよすぎるので一向に引立ちません。
本殿は文明九年、即ち室町時代の建築でして、国宝に指定された
此種の建物では特に優秀なものです。三間社流れ造りで、蟇股の彫
刻といひ木割の調子の整つた点、懸魚から操形のさびのある点など
実に申分のない出来であります。其上全体が優美な所が此建物の特
色で、ことに蟇股の彫刻は材題の一々変つて居る辺が他に類例がな
いといはれて居ります。東寄りに絵馬堂がありますが、こゝは祭礼
の時大弓の神事に奉納した額で一杯になつてゐます。元禄頃のが最
初のやうで、この社の矢場は東三河では最も古く且つ有名で今に至
るまで年々行はれてゐます。
国分寺 は八幡社と道一つ隔てた東隣りにありまして、聖武天
皇の御発願で国毎に建てられたものです。最初の設計によりますと
方八町で四方に大路を開き、其中には南大門と中門、それから本堂
と塔が主な建物になり、それに附属の建物がありました。今の建物
は後世廃絶してゐたのを西明寺の機外和尚が再興して末寺としたと
いふ歴史があります。西北の偶に昔の土塁と大路の跡とが残つてゐ
ますし、塔の土擅が今木立ちとなつて礎石も其当時のものが二つ三
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