← 前のページ
ページ 76 / 154
次のページ →
翻刻
一四八
つ見えて居ります。
附近からは時折奈良朝時代の古瓦を発見しますが、寺には五六個
ある丈けです。鐘楼にあるのは当時の鐘で国宝に指定されてゐます
形といひ色合といひ、後世のものに較べて全く優れて居ります。こ
の鐘は昔弁慶が持出し金割まで行つて棄てた、其時流石の弁慶も余
り重いので引摺つた為八十あつた肩の乳が五十二とれた、そして投
げ出した時出来た割れ目は後追々に癒え元通りになつたといふ伝説
があります。
国分尼寺 は国分寺から三町程東にありまして近頃まで知られな
かつたのが、地名が忍地といふ事と土擅の跡がある事から研究して
漸く分りまして、国分寺跡と共に史蹟に指定されて居ります。寺は
今清光寺といつてゐます。其土擅の跡には一度火に焼けた形跡のあ
る礎石が一つ残つてゐますから、この尼寺が火災による廃滅であら
うことが想像されます。附近からは、此処でも奈良朝頃の瓦を発見
して居りますが、平瓦に飛雲紋のあるのと、磚といふ堂内に敷いた
瓦の発見されて居るのは此処だけのやうに思ひます。
此尼寺の直ぐ裏の山は踊山といつて平安朝の頃「かゞひ」とか歌
垣とかいつたものゝあつた場所で、これは余程後世まで、続いて行
はれてゐたやうです。又其東に当る山麓は国分両寺の瓦を焼いた場
所と見えまして、当時の布目瓦の破片が散乱して居ります。其山の
中腹には長篠戦役で名を挙げた鳥居強右衛門の紀念碑が立つてゐま
す。強右衛門はその南に当る市田といふ処の生れです。
これから北の方に当つて一里許りの所に財賀寺といふ寺がありま
す。路順が悪く序でといふ訳には行きません。
一四九