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翻刻
一五二
他所で生れた者には務めさせないといふ厳しい掟があるさうです。
道順は国分寺尼寺の処から前へ出ると大通りがあります。これを
東へ行けば本野原を通つて豊川に出ますが、その本野原は実は穂
の原で、昔の穂の国の名残りでせう。宝飯郡といふは穂の国を大
化改新のとき二字制により宝飫としたのが誤つたのです。西へ向
つて進むと道は二つに分れ左は総社へ出る道で、右へとつて行く
とやがて西明寺の門前へ出ます。
芭蕉句碑 はこの門前の小高い処にあります。これは翁の五十回
忌に建てられ
「かげらふの我肩に立つ紙子哉」
とあります。芭蕉句碑としては古い方で、小さいけれども整つた
形なので、船町の神明社境内に建てた句碑はこの形をとつて作りま
した。
西明寺 は平安朝時代に三河の国司として来任し恋のロマンス
を残した大江定基が開基で、それを最明寺入道時頼が再興し、又伊
奈東漸寺の開基享隠の兄弟子だつた大素といふものが再々興したと
いふ寺で境内も広く堂宇も整つてゐます。初めは最明寺といひまし
たが永禄七年に徳川家康によつて西明寺と改められました。寺領は
二十石ですが中々格式を備へてゐまして、古文書なども沢山ありま
すが中にも金屏風へ古今の名筆二百十六枚をはつたのは又と得難い
逸物でせう。
本尊の阿弥陀木像は二尺五寸位で安阿弥の作といはれ、これは大
江定基が安置したものといひます。又此寺には北条時頼が納めた仏
舎利もある筈です。此寺を大成したのは十四世の華山和尚で学者で
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