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翻刻
一五四
あり、書も画も上手なものでした。渡辺崋山とよく誤られるのはこ
の華山です。
門前から西へ進みますと、少し下り坂で五六町行くと昔の東海道
と出合ひます。万葉集にある三河の二見道といふのはそこだと申
して居りますが考証すれば異論もありませう。これを東にとつて
八幡社や国分寺を経て豊川に行く道は姫街道で、こゝで本道と分
れるが末は遠州の橋本宿で出合ふといふのです。本街道の出来た
のは慶長頃の事で、以前は国府へかけて通つたものでせうからこ
ゝで分れる筈もないし、今国府町といつても国府の跡は八幡村方
面にあるのですから従つて二見道といふものが愈々怪しくなつて
参ります。
これから音羽川を渡ると昔の御油宿で多少昔の面影が残つてはゐま
すが取たてゝ申上げるやうなものはありません。次の赤坂宿へは僅
か七八町で東海道では一番近い宿場でした。一九の膝栗毛にある弥
次さん喜太さんが狐にばかされて大騒ぎをした松並木といふのは此
間の事です。赤坂の入口には左側に関川神社があり、
芭蕉句碑 がこゝにもあります。句は
「夏の月御油より出でて赤坂や」
といふので明治になつて建て替へたものです。附近に折損した古
い句碑がありますがいつ頃のものか分りません。句碑は多く寺にあ
りまして、神社境内にあるのは此処と船町神明社境内だけです。
宮路山 はこれから一町程行つた処に登口があり、頂上迄二十
町近くあります。東三第一の紅葉(どうだんつゝじ)の名所で、大
宝二年持統上皇が三河へ行幸になつた節国見を遊ばされた処ですが
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