← 前のページ
ページ 86 / 154
次のページ →
翻刻
一六八
が、それ以来家業も怠り勝ちで酒とバクチに日を送つてゐる処から
怪まれ、つい問ひつめられて喋舌つて仕舞つた。それと同時に其財
布は空になつてそれ以来一文のお金も出なくなつたといふのです。
又三重塔は国宝に指定されてゐますが、基礎に土檀がなく廻椽の
ある事は奈良興福寺の塔に似てゐます。屋根は杮葺で、頂上に九輪
がなく露盤の上に宝珠を置いたのは元あつた九輪が失はれたからで
せう。手法は下層と中層が和様で上層が唐様であることが変つて居
ります。此塔は後醍醐天皇の第十一王子無文元選禅師の御建立と伝
へられ、此無文禅師は遠州奥山方広寺の開山です。
こゝから西遠南信へかけて南朝方の一勢力が存したのは、伊勢の
北島氏と相応じた此禅師や、又尹良親王などが孤忠を守られた結果
で、この点から見てこの塔は尊い南朝の紀念品と思ひます。此寺は
寺伝によると大宝年間に大和橘寺の覚淵阿闍梨が創立した事になつ
て居り、これから南に当る古宿は平安朝の終りから鎌倉初期へかけ
ての宿場で、この辺で豊川を渡つたものらしくありますので、其宿
駅に営まれた寺であつたかとも思ひます。殊に寺地がわざ〴〵台地
を降りて低地である事は何か理由のある事でなくてはなりません。
加茂村 こゝから東へすぐ近くに見える孤立した山は照山とい
ひまして、豊川を距てゝ八名郡にありますがこの山へは明応だかの
ツナミに下流に当る地方の神社の御神体や寺院の本尊などが夥ただ
しく流れついたと伝へて居ります。山麓には作りかけて中止したと
思はれる古墳があつて注意を惹きます。
この村の加茂神社は徳川時代社領百石を持ち東三の大社でした。
創立は文治二年再興となつてゐますが、これは頼朝が山城の賀茂神
一六九