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翻刻
一七〇
社へ四十二ヶ国に亘つて神領を献じた中に八名郡小野田庄がありま
して、その神領に祀られたものといふ説があります。祭礼は大旛祭
りといはれ、それは巾五尺三寸長七十尺の麻布の浅黄色に白い模様
を染出した旗を中央に、左右にも同じ形の小形のをつけ、大旗の上
には五つの鈴と七つの鏡をとりつけまして、これを建てる所からつ
けられた名でせう。今あるのは寛文八年に造り変へたもので、地方
の一名物となつてゐます。
麻生田村、牧野村 麻生田は豊川町の東で、この附近から石器時
代の遺物が余程豊富に発見されて有名ですけれどもしつかりした研
究は加へられてはゐません。こゝの玉林寺にある楠は廻り二丈五尺
樹勢尚盛んで見事なものです。
其北に続く牧野村は吉田城を築いた牧野古白が出た処といはれ、
其古白の父といはれるものの墓もありますし、その屋敷跡として徳
川時代免租地であつた所もあります。古白の父は成富といひまして
この人の建てた福昌寺は今退転してありませんが元中七年その寺の
住職実山和尚の書いた経文が其村に伝はつてゐます。
穂国故地 豊川町の次は一宮村です。其間一里許りの間は平坦な
松林でしたが、追々に開墾されて畑地に変りつゝあります。穂国の
故地は一宮を中心とした地方であつたらしく、それには色々な理由
もありますが、先づ北に聳えてゐます本宮山麓には大小無数の横穴
式古墳がありまして、殆んど破壊されてはゐますが相当多数の人が
古く住んでゐた事が分ります。
又其処に、蚕糸についての伝説を持つ犬頭社と服部社がありまし
て、犬頭白糸は延喜式にも載り、今昔物語りの犬頭白糸の話はこの
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