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翻刻
佛があり、相當大きな物でして、これだけのものをよく此山上まで
運んだものと感心させられます。出來たのは享保十六年、嘉永七年
に一度修繕してゐます。本堂は數度の火災で今は假本堂と二三の小
建物がある丈ですが、近く大規模なものが建築される筈です。そこ
を通つて少し行くと東照宮の社があります。もとは寺の支配で此方
は幸ひに火難を免れ慶安年間創立のまヽで、老杉に圍まれた一段高
い處に朱塗の社殿があり、それを圍つて立派な石燈籠が十四基と鳥
居、水盤などがあります。これは近くは吉田、田原、濱松から、遠
くは福嶋、宇都宮、奥州棚倉などの城主がはる〴〵と献納したもの
で、徳川氏の勢力を雄辨に物語つてゐます。社の上方には鬼の味噌
蔵、鬼の酒蔵と呼ぶ洞穴がありますが、假本堂の左側を通つて岩壁
を登つて行くと八町許りで奥院に達します。
その途中には七本杉といふ見事な老樹がありましたが追々に枯損
して今二本だけ殘つてゐます。何れも圍り三十尺以上あつて全山を
威壓してゐます。
この寺は聖武天皇の御發願で利修仙人が創めたものと傳へられ、
仙人は七本杉の一本を切つて佛像を刻み安置したといひます。傳説
では文武天皇御惱のとき利修仙人をお招きする為め草鹿砥卿が登ら
れたとか、役行者が利修仙人に會ひに來たが路が惡く困つたともい
ひますし、又徳川家康は此寺に祀る藥師の十二神將の一人寅童子の
化身で、家康が生れたときその寅童子が失はれ、死ぬと又現はれた
など馬鹿氣たこともいつてゐます。
境内に東照宮を祀つてありますのはその庇護が厚かつたからです【ママ・行末句点省略】
昔は山中に二十ヶ寺もあり、それが天台と眞言の二派に分れ盛大な