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或記(〽[朱] )云承元四年正月十六日大外記 良(ヨシ)業死たり
けるに十六日の暁河内守 繁(シケ)雅か夢に賀茂の御前
にて除 ̄ヂ目【除目の左に「官ヲナサルヽ義式也」】おこなはるゝけしきなりけるに小折紙に大
外記中原の師方と書たりとみて夢さめにけり
いそき此よしを師方に告たりけれは多年つかふまつ
りたるしるしと覚て忝も頼もしくもおほえけるに
軈て其夜大外記に成にけりさきに《振り仮名:助-教|〃 儒官也》仲隆
師高 助(〃 )- 教師季なと競望しけるうへ師方は大監物
にていまた儒官をへさりけれは直に拝任いかゝと
沙汰ありけり重代稽古のものなりけれとも引たつる
人もなかりけるに忝も神恩をかふりて先途をとけ
てけるめてたき程の者なりけりと《割書:云| 々》
同四(〽[朱] )年四月七日又御幸 同八(〽[朱] )月八日には奉幣使
を立らる同十(〽[朱] )月五日当宮には神馬を相添て献
せらるゝと《割書:云| 々》但天変の御祈也《割書:云| 々》
順徳(〽[朱] )院御宇建暦元年四月七日太上皇御幸三日
の間御参籠ありて御幣六本神主幸平に給ふ
のよし見えたり同十(〽[朱] )二月四日又幣使を立らるゝ大
嘗会延引の事によりて也
同二(〽[朱] )年九月廿八日奉幣あり斎院まかてさせ給ふ