翻刻
【右丁】
(十五) むかし。みちのくにゝて。なでうことなき((さしたることもなき人也)人の めに((つま也)かよひけるに。
あやしう((なりひらの思ふ心也 ) 《振り仮名:さやうにて有べき|(みだりがはしくあたなる女とはみへぬ也》女ともあらず見えければ
しのぶ山忍びてかよふみちもがな人の心のおくも見るべく
女かぎりなく めでたしと((あはれに思へる也)思へど。さるさがなきえびす((みだりなる女也となりひらに心を見られて也)心を見ては。いかゞはせん は(助字也)
(十六) 昔。きの有つねといふ人ありけり。みよのみかどに((淳和 仁明 文徳の三代也)つかふまつりて。時に
あひけれど。のちは世かはりときうつりにければ。よのつ((よに有人也)ねの人のごと(ことく也)もあらず。人((あり)
がらは(つねが心さま也)心うつくしう。あてはか((よきこと也)なることをこのみて。こと人にもにず。まづしく
へても((くらしても)。なを むかしよかりし((をとろへても心いやしからぬ也)時の心ながら。よのつねのこと((世わたるいとなみもしらす也)もしらず。年ごろ
あひなれたる め((妻也)。やう〳〵 とこはなれ((夫とわかれて行也)て。つゐにあまになりて。あねのさき
だちてなりたる所へゆくを。男((有つね也)まことに むつましきこと((ねんごろにもなかりし也)こそなかりけれ。今はと((いまさら也)
ゆくを(といひて行也)。いとあはれと思ひけれど。まづしければするわざもなかりけり。思ひわびて。
ねんころにあひかたらひける 友達((なりひら也)のもとに。《振り仮名:かう〳〵今はとて|(有つねかなりひらへいひやる文の詞也》まかるを。なに
ことも いさゝかなることも((すこしの物もえとらせすしてやるとの心也)えせで。つかはすことくかきて。おくに
【左丁】
手をおりてあひ見しことをかぞふればとをといひつゝ よつは((四十年か間也)へにけり
かの 友だち((なりひら也)是を見て。いとあはれと思ひて。よるの物迄をくりてよめる
としだにもとをとてよつは(有つねか夫婦のなしみをなりひらとふらひてよめる也)へにけるをいくたび君をたのみきぬらん
かくいひやりたりければ
これや(有つねか哥也)この あまのはご((なりひらの衣をほめていへり)ろも むべ((尤也)しこそ君が みけ((御衣也)しと奉りけれ
よろこびにたえでまた
秋やくる露やまがふと思ふまであるは なみだふる((よろこひのなみた也)にぞ有ける
(十七) としごろをとづれざりける 人(なりひら也)の。さくらのさかりに見に来りければ あるじ((あるしの女也)
《割書:古今》あだなりと名にこそたてれさくら花としにまれなる人も待けり
《割書:なりひら女をあだ人といはれ又さくらもあたにちるもの也されと|まれにも人のをとづれくるはさくらはあだにあらずとなり》
かへし
《割書:古今》けふこずはあすは雪とぞふりなましきえずは有とも花とみましや
(十八) むかし。《振り仮名:なま心有|(有このみの女也》女有けり。《振り仮名:おとこちかう有|(なりひらそのとなりにすみけるか》けり。女うたよむ
人なれば。《振り仮名:心見んとて|(なりひらの心を引みんとて也》。きくの 《振り仮名:花のうつろへる|(白き菊のあかくみたる也》をおりて。男のもとへやる