伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(八・上) - 翻刻

藩翰譜(八・上) - ページ 17

ページ: 17

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【右丁】 頓て二人をめされたり東西御和睦ありし後秀元秀就本国 に帰る明れは元和元年の五月軍ふたゝひ起ると聞て秀元 秀就に牒状し夜を日に継てのほる程に西海南海の 諸軍勢いまた一人も参らさりしに大坂にはせつき軍して 首三百余を切て献る《割書:此内証拠正しき首撰|て百五を奉りし也》秀就は軍散 して後はせ参る秀元御感にあつかりしまては別の御咎 もなし寛永のはしめ秀元関東に伺候しける時輝元 入道宗瑞秀元の許に使下して《割書:井原加賀清水信濃|といひしもの也》わか家 むかし領する所の地十ヶ国に及へり今入道か身に及ひ わつか両国の賦税をもつて彼累代の家人に最【?】行ふに 【左丁】 上も下も悉くにまつしくくるしみて軍国の賦役に 堪る事を得かたし既に公役に奉する事を得すんは国給らん事 その詮なきに似たりたゝすへからく両国の地をもつて将軍家 に返し奉るへしいかにもして宰相の斗らひにて我家ほろひ さらんやうをたのみ思ふところ也とそいはせける秀元大に おとろき土井大炊頭利勝につきて此由を歎申す大相国家 聞しめされ秀元まつ周防長門の地を丈量すはしめ両 国の税入合せて三十七万斛と聞へしを今代の法を以て はかるに凡七十八万石を得たり入道此よしを聞て悦事 かきりなく安堵の思ひをなしてけり同き二年宗瑞入道