翻刻
【右丁】
頓て二人をめされたり東西御和睦ありし後秀元秀就本国
に帰る明れは元和元年の五月軍ふたゝひ起ると聞て秀元
秀就に牒状し夜を日に継てのほる程に西海南海の
諸軍勢いまた一人も参らさりしに大坂にはせつき軍して
首三百余を切て献る《割書:此内証拠正しき首撰|て百五を奉りし也》秀就は軍散
して後はせ参る秀元御感にあつかりしまては別の御咎
もなし寛永のはしめ秀元関東に伺候しける時輝元
入道宗瑞秀元の許に使下して《割書:井原加賀清水信濃|といひしもの也》わか家
むかし領する所の地十ヶ国に及へり今入道か身に及ひ
わつか両国の賦税をもつて彼累代の家人に最【?】行ふに
【左丁】
上も下も悉くにまつしくくるしみて軍国の賦役に
堪る事を得かたし既に公役に奉する事を得すんは国給らん事
その詮なきに似たりたゝすへからく両国の地をもつて将軍家
に返し奉るへしいかにもして宰相の斗らひにて我家ほろひ
さらんやうをたのみ思ふところ也とそいはせける秀元大に
おとろき土井大炊頭利勝につきて此由を歎申す大相国家
聞しめされ秀元まつ周防長門の地を丈量すはしめ両
国の税入合せて三十七万斛と聞へしを今代の法を以て
はかるに凡七十八万石を得たり入道此よしを聞て悦事
かきりなく安堵の思ひをなしてけり同き二年宗瑞入道