伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(八・上) - 翻刻

藩翰譜(八・上) - ページ 18

ページ: 18

翻刻

【右丁】 卒しぬ八年十月五日に秀元秀就に家をゆつる《割書:みつから五万|石を領し》 《割書:長府の城|にあり》かくて左大臣家の御時に至て秀元むかし年 わつかに十四五にて朝鮮をうたれし大将を承りし 事を聞召此人たゝ人にあらさりけりされは文武の名誉 世の人にもゆるされたり門葉といひ官位といひ家光が 友とすべき人此朝臣にしくはなしと仰あつてつね〳〵 御前に召れむかし今の物語共きこしめす《割書:これを世には御|はなしの衆と云》 十七年の秋興おほからん地をゑらはれ海にむかひ山に より品川のほとりに仮の御所を構て秀元御儲け すへしと仰せ下され八月十六日彼御所にならせ給ふ 【左丁】 凡て御儲の次第心も詞もおよはれす終日の御遊事終り いさよひの月出て秋の歌よみて奉りしかは御感殊に 斜ならす引出物多く給て還御なり又正保元年 の秋むかしの遊ひ猶わすれかたし此度は西城にて御もて なし仕へしとて十月九日山里の御所を借し給ひて 御もうけす物を給事又おほしかくて秀元年つもり 七十三歳にして慶安三年閏十月六日に卒し嫡子従 四位下和泉守光廣家をつき承応二年七月二日三十 八歳にして卒す《割書:武家補任を按するに寛永十二年従四位下|和泉守になると云々寛永三年九月行幸》 《割書:の記に毛利侍従光廣としるせりはしめ従五位になされ十二年に|四位にのほれるにやおほつかなし又元服の時諱字給りしといふ》