翻刻
【右丁】
【見出し】「関寺(せきでら)小町」【上下四隅に鉤かっこ】
栄(さかへ)おとろふ世のならひ四位(しゐの)少将(せうしやう)
のむくひの罪(つみ)の身につもりて錦(にしき)
のしとねのおきふしを引かへて。関(せき)寺の辺(ほとり)に。はにふのこや
をしつらひ住(すみ)けるを。小野ゝ小町とはしる人もなかりしに。
ころは七月七日。せき寺の住僧(ぢうそう)。ちご達をいざなひ。ほしに
たむけの哥をよみて。なを山かげの老女(らうによ)の哥道(かだう)をきはめ
たるよしを聞て。けいこのために尋ねけるが。小町は思ひも
よらぬよし申されけれど是非(ぜひ)としいられて。そのあら
ましを申べしと。神代(じんだい)より始(はじま)り。なにはづあさか山のことの
葉(は)は。哥の父母なるよし語(かた)り聞へければ。僧達(そうたち)かんじて
女の哥はまれなるに。老女(らうによ)の事はためしすくなくおぼへ
侍ふとて哥【〇で囲む】我せこがくべき宵(よひ)なりさゝがにの。くもの
ふるまひかねてしるしも。といへる哥を尋ねしるゝに小町
答へてそれこそ衣通姫(そとをりひめ)の御哥也。われらも其ながれをくみ侍ると
有ければ僧達聞て。小野小町こそ衣通姫(そとをりひめ)のながれと聞つれ。
是はふしぎの事と思ひ哥【〇で囲む】侘(わび)ぬれば身をうき草のねをたへて。
さそふ水あらばいなんとぞおもふ。といふ哥を尋られければ。
それは文屋の康秀(やすひで)が三河の守(かみ)に成て下りし時。田舎(いなか)にて心
をもなぐさめようと我をさそひし程によみし哥也と申され
ければ。僧達 驚(おどろ)き。侘びぬればの哥を我よみたりと承るは扨は
小町にてまし【別本にて】ます折ふし今日(けふ)の乞切尊(きつこうそん)。【「乞巧奠(きっこうでん)の誤記と思われる】たむけのぶがく【舞楽】をなし
たまへとてこてふ【胡蝶】のまひをのそみしとなり
【左丁】
「そとは小町」【見出し 上下左右に鉤かっこ】
こまち百(もゝ)とせのうばと成
て都ちかく相坂(あふさか)山。あるひはしが
から崎のあたりにはいくはひ【徘徊】し。道行人にものを乞(こひ)
命をつなぐたよりとし。其あり様の哀(あはれ)なる事左り
のひぢに古(ふる)きあじか【蕢=竹・葦などで編んだ籠】に青き蕨(わらび)を入てかけ。右の手に
やぶれたる笠(かさ)をもち。首(くび)に一ツのふくろには粟豆(あはまめ)のかれ
飯(いゝ)を入てかけ。うしろに一ツのふくろに。あかづきたる
衣を
入ておひ。笠の中(うち)には田の中なるくはいを拾(ひろ)ひもち。
道をたとりてゆきなやめり。有日大きなる卒都婆(そとは)の
朽(くち)たふれたるにこしを打かけて。やすらひゐたる折ふし。
高野山(かうやさん)の僧とをり合せ是を見て。仏体(ぶつたい)をきざめる
そとはにこしかけたるこそやすからね。けふけ【教誨】してのけば
やと立よりて。是成こつがひにん【乞丐人=こじき】。よの所に休(やすみ)候へ。是は忝く
も仏のすがたを写(うつ)したるそとは【卒都婆】也と有ければ小町其そとは
の起(おこ)りくどく【功徳】を委(くはし)くとひて。地水火風空(ちすいくはふうくう)の姿(すかた)をあらはせると
いふいはれを聞て。我も仏体を得たる者(もの)なれば。何かへだての有
へきと。草木国土(さうもくこくど)しつかい成仏(じやうぶつ)の道理(だうり)を明らかにこたへられければ。
僧(そう)は大きに驚(おとろ)き誠に悟(さと)れる非人(ひにん)也とて。頭(かうべ)を地(ち)に付手を合て
三 度(ど)礼拝(らいはい)をなしいか成人のなれのはてぞと問(とひ)給へば。我は小野ゝ
小町にて侍ふ也。むつかしの御僧のけふけやとて。たはふれの哥に
かくぞよまれけるとなり
哥【〇で囲む】極楽(こくらく)の中(うち)ならばこそあしからめ。そとは何かはくるしかるべき