翻刻
【右頁上部】
▲一 条院(でうのいん)の御宇(ぎよう)長 徳(とく)三年やよひの頃。和泉(いつみ)
しきぶ播州(ばんしう)書写山(しよしやさん)に詣(まふ)で帰るさに此 湯(ゆの)
山に來り。湯治(たうぢ)せられんとて先 薬師(やくし)の宝前(ほうぜん)
にまふで給へば俄(にはか)に月のさはり有ければ大きに
かなしみ○もとよりも塵(ちり)にまじはる我なれ
ば。月のさはりと成ぞ悲(かな)しきとゑい【詠】じ給へば
御帳(みちやう)のうちより御(み)こゑを出して○もとよりも
ちりの浮身(うきみ)のしやばなれば月のさはりも何(なに)
か苦しきと。御尊詠(ごそんえい)有て免(ゆる)させ給ふと也
▲人皇七十三代ほり川院(かはのいん)の御宇。淫雨洪水(いんうこうずい)し
て山谷(さんこく)をくつかへし。民屋坊舎(みんをくばうしや)湯(ゆ)つぼ迄 悉(こと〴〵)く
沉没(ちんほつ)して一同に破滅(はめつ)せり其程九十五年が間
取立るわざもなく絕(たへ)はてければ草木ふかく
しげりむなしく禽獣(きんじう)の住(すみ)かと成。人すむ事なし
▲其頃 和刕(わしう)三吉野(みよしの)高原(たかはら)寺の住僧(ちうそう)仁西(にんせい)上人
とて大 峯(みね)高験(かうけん)の行者あり。熊野(くまのゝ)権現(ごんげん)の
御 吿(つけ)によつて彼(かの)温泉(うんせん)の山に尋(たづね)行給ひ里人
をかたらひ湯舟(ゆぶね)を造(つく)らせ二たびはんじやうの有
馬山。今の世〻(よゝ)迄 温泉(うんせん)の利益(りやく)有がたし。これ
ありまの中興(ちうこう)上人にて行基𦬇【上下艹艹、菩薩ノ畧字】のさいらい也
【右頁下部】
こうばい
此巻は詞をもつて名つけたる也。
のき近(ちか)き紅梅(こうばい)のいとおもしろく
匂(にほひ)たるとあり。此巻はあぜちの大納言とて。かしは
ぎのゑもんのかみのおとゝにて。世にさかへ給ふあり。
この北のかたはひげくろの大将のむすめ。まきの
はしらよ我をわするなとよみし人。ほたる(紫上の父也)兵部(ひやうぶ)
卿(きやう)のみやにまいり給ひしが。みやかくれ給ひしのち
大 納言(なごん)のかたへまいり給ふ。みや(兵部卿)にひめ君ひとかた
おはしけり。此御かたの庭(には)にうつくしき紅梅(こうばい)あり。
まゝ父 大納言(あせち)。この梅(むめ)の枝(えだ)を折て/にほふ(けんじの御おい也)【源氏の御甥也】兵部卿(ひやうぶきやう)
のもとへ。くれないのうすやうに文かきてたてま
つり給ふ歌に 〽心ありて風のにほはすその
の梅(むめ)にまつうくひすのとはずやあるべき。此
心は風の心ありて匂(にほ)はするむめには鶯(うぐひす)のとはぬと
いふことはあらじと也。下心は姫君のことをほのめ
かす也。まつ鶯(うぐひす)とは先(まづ)と待(まつ)との心あり。此ひめ
君を。みやにたてまつりたきと思ふ心ありてこそ。
紅梅(こうばい)をまいらする也。此心あるに。いかでかまつ
うくひすのとはすをき給ふまし【如何でか、待つ鶯の訪はず擱き給ふまじ?】とは。兵部卿の
宮をうぐひすにたとへていへるなり
【左頁上部】
▲湯船(ゆぶね)の寸方之事○横(よこ)の廣(ひろ)さ。壱丈二尺
五寸。奥行(をくゆき)壱丈五寸。深(ふか)さ三尺八九寸なり。
○一の湯南むき○二の湯北むき。坪数(つほかず)
何れも同事也○湯のあつさぬるさのかげん
四季ともに同事也○湯(ゆ)相應(さうをう)養生記(やうじやうき)の事
一 中風(ちうぶう) 一 脚氣(かつけ) 一 筋(すぢ)いたみ 一第一ひえ
一 頭痛(づつう) 一 打身(うちみ) 一 骨(ほね)くだけ 一 金瘡(きんそう)
一 痔漏(ぢろ) 一 下血(げけつ) 一 腎虚(じんきょ) 一 労瘵(らうさい)
一 虚労(きよらう) 一 痃暈(けんうん) 一 疝気(せんき) 一 冷疾
一 田虫(たむし) 一こせ 瘡(がさ) 一 痳病(りんひやう) 一 腰氣(こしけ)
一 白血(しらち)長血(ながち) 一子のなき女人此湯に入ば懐胎(くわいたい)す
○此外 諸事(しよじ)の煩(わづら)ひは金輪(こんりん)涌出(ゆじゆつ)の霊湯(れいたう)也
仏神 加祐(かゆう)の寶泉(ほうせん)なるにより男女共此ゆに
入ぬれば腎(じん)を補(をぎな)ひせい気をまし脾胃(ひゐ)を剛(つよく)
し食(しよく)事をすゝめやせたる人はしゝつき肥(こへ)たる人は
肌膚(きふ)をかたくなす。此外 異症怪病(いせうけひやう)のたぐひも
よく其 宿(やど)に相 尋(たづ)ねて湯治(たうぢ)有べし
一 生瘡(なまかさ) 一 癩病(らいひやう) 一 癲癇(てんかん) 此 三病(さんびやう)には
相應(さうをう)せずかへつてあしゝ。必(かならず)是をつゝしむべし
其法くはしく縁起(えんぎ)并に湯文(ゆぶみ)にあり
【左頁下部】
竹川(たけかは)
たけ
かはの
はし
うち
いでし
ひと
ふしに
ふかき
心(こゝろ)の
そこは
しりきや