翻刻
【右帖】
もとし此理をよく〳〵得心する時は渡世第
一の益なるへし
物語に云二十年以前天和年来の比なるに当国碓
氷郡に賢者ありいとけなき時父におくれ母はかり
持て孝をつくさはやと思へ共まつしけれは力およ
ばす時々の疏食(そしき)も養かぬる躰にて是を常にか
なしみ妻子共に飢寒のくるしみをして明し暮し
けり此人思ふやう蚕は国の宝也是を養育する
理を覚て孝養の種にせはやと思ひそれより
蚕に心を尽しわつか畑弐反はかりの桑を以て
【左帖】
蚕を養けりもとよりかしこき人なれは蚕徳
失の評判を聞てさま〳〵のためしをわつか五
六ケ年の内に養育の理をゑとくすそれより養屋
作り冬春の内爰かしこにて桑を買置夏の手間を
頼置く買桑頼手間にて蚕過分に養其利を
得事人に【耳=に】勝り段々田畑買ふやし次第〳〵に
富貴となるもとより親には孝養を尽くし夫婦
の中むつましく子共には仁慈ふかく芸能を仕付
兄弟の道たゝしく朋友の交にも誠有故に諸人此
人をうやまひ用を遍する事飛行也さる程に養蚕の
理を得とくして廿ケ年たゝさるうち籠数五六百枚養