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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之13 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之13 - ページ 19

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【右丁】 孤雲山(こうんさん)乗蓮寺(じようれんじ) 慶学院(けいかくゐん)と号(がう)す同所 橋(はし)より三町あまり此方(こなた)道(みち)より 左側(ひだりかは)にあり浄土宗(じやうどしう)にして縁山(えむさん)に属(ぞく)す本尊(ほんぞん)阿弥陀(あみだ)如来(によらい)の像(ざう)は  仏工(ぶつこう)春日(かすが)の作(さく)開山(かいさん)は英蓮社(えいれんしや)信誉(しんよ)上人 了賢(れうけん)無的(むてき)和尚(おしやう)と号(がう)す  当寺(たうじ)は応永(おうえい)年間(ねんかん)の草創(さう〳〵)にして此地(このち)の郷主 板橋(いたはし) 信濃守(しなのゝかみ)忠康(たゞやす)  といふ人の菩提寺(ぼだいじ)なり当寺(たうじ)五世(ごせ)明誉(みやうよ)上人 龍宅(りうたく)和尚(おしやう)現住(げんぢゆう)の頃(ころ)  天正(てんしやう)十九年辛卯 御当家(ごたうけ)より守護(しゆご)不入(ふにふ)の朱章(しゆしやう)を賜(たま)ふ又  寛保(くわんほ)三年癸亥の夏(なつ) 大樹(たいじゆ)此辺(このあたり)御遊猟(ごいうりやう)の時(とき)当寺(たうじ)に憩(いこ)はせ  給ひしより永規(えいき)となれり  相生杉(あひおひすぎ)《割書:寺(てら)の後園(こうえむ)にありむかし此辺(このあたり)御遊猟(ごいうりやう)の頃(ころ)此(この)杉(すぎ)の号(な)を問(と)はせ給ふ住僧(ぢゆうそう)答(こたへ)|奉(たてまつ)るに相生(あひおひ)の号(な)を以(もつ)てす依(よつて)今猶(いまなほ)相生()あひおひ》縁結(えんむすび)の杉(すぎ)と称(とな)へたり》  女男松(めをのまつ)《割書:堂前(だうせん)にあり天下(てんか)泰平(たいへい)を祝(しゆく)し|奉(たてまつ)る意(こゝろ)にて植(うゑ)たりしとなり》  板橋(いたはし)忠康(たゞやすの)墓(はか)《割書:境内(けいだい)にあり碑面(ひめん)に本樹院殿(ほんじゆゐんでん)前(さきの)信州(しんしう)空山(くうさん)有賢(いうけん)禅定門(ぜんぢやうもん)|文禄(ぶんろく)二癸巳十一月二十一日 卒(そつす)とあり或人(あるひと)云(いふ)板橋氏(いたはしうち)の家系(かけい)に板橋(いたはし)》  《割書:信濃守(しなのゝかみ)忠康(たゞやす)はもと豊島氏(としまうぢ)なり北条(ほうでう)氏直(うぢなほ)へ任(つか)へ此地(このち)に住(ぢゆう)して板橋(いたはし)と名(な)つくるよし記(しる)|せりと云々又 或人(あるひと)云(いふ)豊島氏(としまうぢ)系譜(けいふ)に滝野川(たきのかは)長門守(ながとのかみ)が弟(おとゝ)を板橋(いたはし)次郎(じらう)と豊清(とよきよ)と名(な)つくる由(よし)記(しる)》  《割書:せりとぞ豊清(とよきよ)始(はじめ)て此地(このち)に住(ぢゆう)して板橋(いたはし)の号(がう)を以(もつ)て氏(うぢ)となせし欤(か)然(しか)れば忠康(たゞやす)も豊清(とよきよ)が子孫(しそん)|ならん又 北条家(ほうでうけ)の所領(しよりやう)役帳(やくちやう)に見(み)えたる板橋(いたはし)又太郎(またたらう)同 大炊介(おほいのすけ)といふも其(その)一族(いちぞく)なるべし其余(そのよ)》 【左丁】  《割書:小田原記(をたはらき)に大永(たいえい)余年正月十三日北条(ほうでう)氏綱(うぢつな)と上杉(うへすぎ)朝興(ともおき)と合戦(かつせん)の時(とき)朝興(ともおき)打負(うちまけ)て板橋(いたはし)をさして|引退(ひきしりぞ)く此時(このとき)板橋(いたはし)の某(それがし)兄弟(きやうだい)以下(いか)討死(うちしに)すとあるも同(おな)じ氏族(やから)の人なるべし又 同書(おなじふみ)に天正(てんしやう)元年十月》  《割書:下旬(げじゆん)下総(しもふさ)関宿(せきやど)の城主(じようしゆ)簗田(やなた)中務(なかつかさの)大輔(たいふ)佐竹(さたけ)に一味(いちみ)して逆心(ぎやくしん)を企(くはたつ)るといふ条下(でうか)に小田原(をたはら)より氏政(うぢまさ)|出張(てばり)して関宿(せきやど)へ取詰(とりつめ)合戦(かつせん)ありし頃(ころ)小田原方(をたはらかた)武州(ぶしう)の石浜(いしはま)の城主(じやうしゆ)千葉(ちば)次郎(じらう)城方(しろかた)の物頭(ものかしら)菊間(きくま)》  《割書:図書(づしよ)といふ者(もの)と組(くみ)て落(おち)千葉(ちば)次郎(じらう)討死(うちしに)す此時(このとき)石浜(いしはま)の千葉家(ちはけ)女子(によし)斗(ばかり)なりしかば氏政(うぢまさ)の下知(げぢ)|として北条(ほうじう)常陸介(ひたちのすけ)氏繁(うぢしげ)の三男(さんなん)を養子(やうし)として彼(かの)息女(そくぢよ)にあはせ千葉(ちば)に一跡(いつせき)相続(さうぞく)ありしかは木内》  《割書:宮内(くない)少輔(せういふ)支配(しはい)彼(かの)与力衆(よりきしゆう)は板橋(いたはし)肥後守(ひごのかみ)板橋(いたはし)の城主(じやうしゆ)なり|松戸(まつと)越前守(ゑちぜんのかみ)は赤塚(あかつか)の城(じやう)主なりとあり此(この)肥後守(ひごのかみ)又 同(おな)じ氏族(やから)の人なるべし》 木下(きのした)稲荷(いなり)祠 同し駅(えき)の端(はづ)れ街道(かいだう)より左(ひだり)の小路(こふぢ)を入(いり)て智清寺(ちせいじ)と  云(いへ)る浄家(じやうけ)の寺(てら)に安置(あんち)す元和(げんわ)三年丁巳当寺(たうじ)中興(ちゆうこう)心蓮社(しんれんしや)法誉(はふよ)上人  輪宗(りんそう)和尚(おしやう)感得(かんとく)せられたりし神像(しんざう)なりと云 相伝(あひつた)ふ豊臣(とよとみ)秀吉公(ひでよしこう)  いまだ木下(きのした)藤吉郎(とうきちらう)と称(しよう)せられし頃(ころ)此(この)尊神(そんしん)を崇信(そうしん)し給ひ既(すで)に  して天下(てんか)の武将(ぶしやう)となり給ふを以(もつ)て世(よ)に木下(きのした)出世(しゆつせ)稲荷(いなり)と称(しよう)し  まゐらすと云《割書:伽羅(きやら)稲荷(いなり)或(あるい)は藤吉(とうきち)|いなりとも唱(とな)へはべり》 清水坂(しみづさか) 志村(しむら)にあり世(よ)に地蔵阪(ぢざうさか)とも号(なつ)く旧名(きうみやう)は隠岐殿坂(おきとのさか)と  呼(よ)べり昔(むかし)隠岐守(おきのかみ)何某(なにがし)闢(ひら)かるゝ故(ゆゑ)なりといふ《割書:次(つぎ)の熊野宮(くまのゝみや)の|条下(でうか)に詳(つまびらか)なり》此地(このち)嶮(けん)  岨(そ)にして往還(わうくわん)の行人(かうじん)大(おほい)に悩(なや)めり依(よつ)て寛保(くわんほ)年間(ねんかん)大善寺(たいせんじ)の住守(ぢゆうしゆ)