翻刻
【右丁】
一夜塚(ひとよつか) 同所 西南(にしみなみ)の畑(はたけ)の中(なか)にあり此所(このところ)を前野(まへの)と号(がう)す相伝(あひつた)ふ小田原(をだはら)
北条家(ほうぶうけ)の時(とき)千葉家(ちばけ)の城(しろ)を攻落(せめおと)さんとして寄手(よせて)の軍兵(ぐんびやう)此地(このち)に
於(おい)て一 夜(や)の間(あいだ)に炮坐(いしびやたい)を築(きつ)き城(しろ)へ向(む)けて此(この)塚上(つかしやう)より大発炮を
放(はな)ち竟(つひ)に城兵(じやうひやう)を焼討(やきうち)にせしといふ
西台山(さいたいさん)円福寺(えんふくじ) 熊野(くまの)権現宮(ごんげんのみや)より二丁ばかり西南(にしみなみ)の方(かた)西台村(にしたいむら)にあり
曹洞派(そうとうは)の禅刹(ぜんせつ)にして芝(しば)愛宕下(あたごした)の青松寺(せいしやうじ)に属(ぞく)す本尊(ほんそん)は拈華(ねんげ)の
釈迦(しやか)如来(によらい)座像(ざぞう)一尺四五寸行基(ぎやうき)菩薩(ぼさつ)の作(さく)なり或(ある)はいふ
御首(みくじ)ばかり行基(ぎやうき)の作(つく)る所(ところ)にして全体(ぜんたい)は後人(こうじん)の作(さく)なりともいへり太田(おほた)
道潅(だうくわん)入道(にふだう)の開創(かいさう)にして越生(おこせ)龍穏寺(りうおんじ)第五世(だいごせ)雲岡(うんかう)俊徳(しゆんとく)和尚(おしやう)開山(かいさん)
たり《割書:雲岡(うんかう)開基(かいき)する所の|十八ケ寺(じ)の一なり》当寺(たうじ)は旧(いにしへ)河越(かはこゑ)にありし頃(ころ)は龍穏寺(りうおんじ)の末寺(まつじ)にてあり
しとなり今(いま)寺領(じりやう)二十 石(こく)を附(ふ)せらる当寺(たうじ)に永正(えいしやう)年間(ねんかん)の古文書(こもんしよ)あり其(その)文(ぶん)
左(さ)のごとし
志村西代之内小原三郎今屋敷再面之畠共
【左丁】
為宗安公円福寺江永代寄進申候又以前
従勘解由時寺之面之畠一枚寄進申候都合
直貢一婚之外候為後日寄進申状如斯
永正十年癸酉十二月十三日 多田彦六
老母
円福寺江
参
《割書:住僧(ぢゆうそう)いふ志村(しむら)城山(しろやま)の辺(あたり)農民(のうみん)の 地(ち)小太郎面(こたらうめん)と字(あざな)する田畠(たはた)あるは此(この)多田氏(おほたうぢ)の|遺趾(ゆいせき)なりと》
古雲版(こうんはん) 庫裡(くり)に掛(かけ)てあり其(その)形(かたち)左(さ)の如(ごと)し
【雲版の図 年号銘「明徳二年辛未卯月一日」】
長一尺三寸五分
巾一尺二寸五分