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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之13 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之13 - ページ 25

ページ: 25

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【右丁】 大堂(たいたう) 赤塚(あかつか)松月院(しようげつゐん)の南(みなみ)にあり形(かた)はかりの草堂(さうだう)の内(うち)に釈迦(しやか)如来(によらい)の像(ざう)を  安(あん)して本尊(ほんそん)とす土人(としん)伝(つたへ)云(いふ)大同(たいとう)年間(ねんかん)の開創(かいそう)にして上古(そのかみ)は大刹(たいさつ)なりしと  なりされど後世(こうせい)数度(すど)の兵燹(ひやうせん)の罹(かゝ)り焦土(やけつち)となりて僅(わづか)に此(この)釈尊(しやくそんん)の  御堂(みだう)と旧鐘(きうしやう)のみ残(のこ)れりとなり《割書:今(いま)釈迦堂(しやかだう)の前後(ぜんご)に上寺家下寺家と字(あざな)|する地(ち)あるは鐘(かね)の銘(めい)に存(そん)する所(ところ)の泉福(せんふく)》  《割書:真福(しんふく)両寺(りやうじ)の旧跡(きうせき)を|さしていふなるべし》  古鐘(こしやう)一口《割書:堂前(たうぜん)にあり長(なかさ)凡(およそ)五尺はかり口のわたりは二尺二寸あまりあり此(この)旧鐘(きうしやう)の|執筆(しゆひつ)中岩(ちゆうがん)は鎌倉(かまくら)建長寺(けんちやうじ)四十二世仏種(ぶつしゆ)慧済(ゑさい)禅師(ぜんじ)たり諱(いみな)は円月(えんげつ)号(がう)は中(ちゆう)》  《割書:岩(がん)と称(しよう)す東陽(とうよう)に嗣法(しはふ)す永和(えうわ)元年正月八日 示寂(じじやく)|世寿(せじゆ)七十云々以上 鎌倉志(かまくらし)に出(いづ)るところなり》    武蔵州豊島郡赤塚泉福寺真福寺二寺鐘銘    驚沈潜之幽蟄破衆生之大夢莫先於鐘也武州豊    島彼両寺者前朝全盛之時所建具體古招提也独    欠簨簾之器可謂缼典矣今快賢阿闍梨幹衆縁鋳巨    鐘厥志勤矣若夫豊嶺霜降祇園月明揚音於大千    沙界伝蓋於未来無窮命中右銘銘曰    武之豊郡 州之重鎮 崇々福山 哀我彦俊    鳧氏范牅 以落以■ 大扣大鳴 鯨吼霆震    啓昏迪迷 遐邇感進 劫石有消 洪音無尽    暦応三年庚辰四月初八日 【左丁】                筆執  三位親慶                大工平次五郎行次             勧進沙門治部阿闍梨快賢 万吉山(まんきつさん)松月院(しようげつゐん) 同所 北(きた)の方(かた)通(とほ)りより右(みぎ)にあり曹洞派(そうとうは)の禅林(ぜんりん)にして  常会地(じやうゑのち)なり当寺(たうじ)は千葉介(ちばのすけ)自秀(よりひで)開創(かいさう)の仏刹(ぶつせつ)といふ《割書:開創(かいさう)の年暦(ねんれき)|詳(つまひらか)ならず按(あんする)に》  《割書:当寺(たうじ)卵塔(らんたふ)の中(うち)に文明(ぶんめい)の古碑(こひ)あり然(しか)れば|文明(ぶんめい)より前(まへ)に草創(さう〳〵)ありし寺院(じゐん)なるべし》開山(かいさん)を雲栄(うんえい)和尚(おしやう)と号(がう)す《割書:永正(えいしやう)の|碑(ひ)あり》  仏殿(ぶつでん)の本尊(ほんそん)は釈尊(しやくそん)にして作者(さくしや)をしらず脇士(けふし)は文殊(もんじゆ)普賢(ふげん)なり  堂前(だうぜん)左右(さいう)に木犀(もくせい)の大樹(たいじゆ)あり禅堂(ぜんだう)衆寮(しゆりやう)方丈(はうぢやう)庫裡(くり)は左右(さいう)に並(なら)び  て魏然(ぎぜん)たり当寺(たうじ)に自秀(よりひで)の霊牌(れいひ)と称(しよう)するものあり松月院殿(しようげつゐんでん)  南州(なんしう)玄参(げんじん)大禅(たいぜん)定門(ぢやうもん)千葉介(ちばのすけ)自秀(よりひで)永正(えいしやう)三年丙寅六月二十三日  とあり又 其(その)室(しつ)の霊牌(れいはい)といへるには龍興院殿(りうこうゐんでん)了室(れうしつ)覚公(かくこう)大姉(だいし)延徳(えんとく)  元年己酉九月十五日とあり墳墓(ふんぼ)は卵塔(らんたう)の中(うち)大松樹(たいしようじゆ)の下(もと)にあり  て古(ふる)き五輪(こりん)の石塔(せきたう)三基(さんき)並(なら)び建(たて)り中間(ちゆうかん)にあるもの尤(もつとも)古(ふる)く蘚(せん)  苔(たい)滑(なめらか)なり右(みぎ)にあるものは自秀(よりひで)の名(な)ありて後世(こうせい)造(つく)り儲(まうけ)たりしと