翻刻
【右丁】
面 吹上聖観世音堂用之
背 武州新座郡下村福田山東明禅寺存貞代置之
于時元亀二年《割書:辛|未》六月朔日河村弥二郎殿寄進
《割書:按(あんする)に河村(かはむら)弥次郎(やじらう)は小田原(をたはら)北条家(ほうでうけ)の属下(ぞくか)なるべし永禄(えいろく)二年小田原(をたはら)北条家(ほうでうけ)の|所領(しよりやう)役帳(やくちやう)に河村跡(かはむらあと)百七十八 貫(くわん)五百六十文の内五十貫文 江戸(えと)新倉(にゐくら)とあれば》
《割書:永禄(えいろく)より元亀(けんき)天正(てんしやう)の頃迄(ころまで)は河村氏(かはむらうぢ)此地(このち)の領主(りやうしゆ)たりしとおぼし存貞(そんてい)は当寺(たうじ)第(だい)三世の住(ぢゆう)|僧(そう)にして松岳(しようがく)存普(そんふ)右貞(いうぢやう)如南(によなん)禅師(ぜんし)と号(かう)す元亀(げんき)二年辛未六月朔日 示寂(じじやく)すと此人(このひと)ならん》
谷原山(こくげんさん)長命密寺(ちやうめいみつじ)妙楽院(めうらくゐん)と号(がう)す上練馬(かみねりま)谷原邑(やはらむら)にあり《割書:永禄(えいろく)二年 小田原(おたはら)|北条家(ほうでうけ)の所領(しよりやう)役(やく)》
《割書:帳(ちやう)に石神井(しやくじ)の内(うち)谷原(やはら)在家(ざいけ)岸分の|地を太田(おほた)新六郎(しんろくらう)知行(ちぎやう)の中(うち)に加(くは)へたり》真言宗(しんごんしう)にして本尊(ほんそん)に薬師(やくし)如来(によらい)の
像(ざう)を安置(あんち)す慈覚(じかく)大師(だいし)の作(さく)なり慶安(けいあん)四年辛卯 慶筭(けいざん)阿闍( あじや)
梨(り)といへる木食(もくじき)の沙門(しやもん)当寺(たうじ)を開基(かいき)す《割書:阿闍梨(あじやり)は伊豆国(いつのくに)の産(さん)北条(ほうてう)早雲(さううん)|長氏の曽孫(そうそん)にして増島氏(ますしまうぢ)なり》
《割書:俗称(ぞくしよう)は勘解由(かげゆ)重明(しげあきら)といふ天正中(てんしやうちゆう)北条(ほうでう)氏規(うぢのり)に属(ぞく)して豆州(づしう)韮山(にらやま)の城(しろ)に籠居(らうきよ)す北条(ほうでう)|家(け)滅亡(めつぼう)の後(のち)此地(このち)に退去(たいきよ)して農民(のうみん)となる後(のち)其(その)弟(おとゝ)左内(さない)重国(しげくに)の子(こ)新七郎(しんしちらう)重俊(しげとし)に》
《割書:家(いへ)を譲(ゆず)り入道(にふだう)染衣(ぜんえ)の身(み)となりて慶筭(けいさん)と改(あらた)め室(しつ)を儲(まう)けて蓮中庵(れんちゆうあん)と号(がう)す元和(げんわ)|二年三月十二日に遷化(せんげ)す時(とき)に年八十 余歳(よさい)なり》
観音堂(くわんおんだう)《割書:本堂|(ほんだう)の西(にし)にあり本尊(ほんそん)十一面(しふいちめん)観音(くわんおん)の像(さう)は行基(ぎやうき)菩薩(ぼさつ)の作(さく)なり和州(わしう)初瀬(はせ)|寺(てら)にならひたりとて天照(てんしやう)春日(かすが)八幡(はちまん)の三 神(しん)をあがめまつりて当寺(たうじ)の鎮護(ちんごの)》
《割書:廟(びやう)とす寛永(くわんえい)十七年の九月 長谷(はせ)の小池坊(こいけばう)秀筭(しうさん)僧正(そうじやう)当寺(たうじ)を長命寺(ちやうめいじ)と号(なつ)けらる慶安(けいあん)|元年の冬(ふゆ) 台命(たいめい)ありて観音(くわんおん)供養(くやう)の料(れう)として若干(そくばく)の田園(でんえん)を附(ふ)し給ひしとなり》
【左丁】
鐘(かね)《割書:同所にあり銘文(めいぶん)は|当寺(たうじ)定昌師(ぢやうしやうし)撰(せん)す》
大師堂(たいしだう)《割書:本堂(ほんたう)の西北(にしきた)数百歩(すひやくほ)にあり是(これ)を奥(おく)の院(ゐん)と称(しよう)す今(いま)本堂(ほんだう)より大師堂(だいしだう)までの|間(あいだ)に廻廊(くわいらう)をまう其(その)廊中(らうちゆう)五百羅漢(ごひやくらかん)の小 像(ざう)を安置(あんち)せり此(この)奥(おく)の院(ゐん)は》
《割書:すべて紀州(きしう)高野山(かうやさん)大師(たいし)入定(にふぢやう)の地勢(ちせい)を模擬(もぎ)する故(ゆゑ)に堂前(だうせん)に万燈堂(まんとうだう)あり又 御廟(みひやうの)橋(はし)|蛇柳(じややなぎ)は同(おなし)前庭(せんてい)にありて左右(さいう)に七 観音(くわんおん)地蔵(ぢざう)等(とう)の石像(せきざう)其余(そのよ)石灯籠(いしとうらう)五輪(ごりん)の石(せき)》
《割書:塔婆(たふは)幷(ならびに)増島氏(ますしまうぢ)累世(るいせ)の墳墓(ふんぼ)等(とう)並(なら)び建(たて)り又 御堂(みだう)に四隅(よすみ)には五重(ごぢゆう)の宝塔(ほうたふ)立(たて)十三 仏(ぶつ)十王の|石像(せきざう)等(とう)の類(たぐ)ひ累々(るい〳〵)として野山(やさん)の規制(きせい)にならふ三鈷(さんこ)の松(まつ)と称(しよう)するものありしが》
《割書:今(いま)は枯失(かれうせ)たり樹林(じゆりん)鬱蒼(うつさう)|として閑寂(かんじやく)玄蔭(げんいん)の地(ち)なり》弘法(こうほう)大師(たいし)の御影(みえい)は当寺(たうじ)開山(かいさん)慶筭(けいさん)阿闍(あじや)
梨(り)感得(かんとく)の霊像(れいざう)なり
寺記(じきに)云(いはく)開山(かいさん)慶筭(けいさん)阿闍梨(あじやり)紀州(きしう)高野山(かうやさん)に入(いり)てより五 穀(こく)を断(たち)木(この)
実(み)を食(くら)ひ阿観(あくわん)禅念(ぜんねん)をこらす事こゝに年(とし)あり一夜(ひとよ)大師(だいし)夢(ゆめ)に
告(つげ)て曰(のたまは)く我(われ)昔(むかし)諸国(しよこく)化度(くえど)の時(とき)讃岐国(さぬきのくに)にありて自(みづから)像(ざう)を作(つく)りたり
其(その)像(ざう)は今(いま)同国(どうこく)多度郡(たとこほり)釼(つるぎ)の山(やま)といへる地(ち)の人家(じんか)に存(そん)せり汝(なんぢ)が本国(ほんこく)
我(わが)山に遠(とほ)し急(いそ)ぎ行(ゆき)て彼(かの)像(ざう)を得(え)汝(なんぢ)が旧里(きうり)に安置(あんち)し此山(このやま)を模(うつ)して
こゝに参詣(さんけい)なりがたき婦女子(ふぢよし)等(とう)の為(ため)に結縁(けちえん)すべし然時(しかるとき)は吾(わが)山(やま)に
登(のぼ)るに等(ひと)しかるべしと云々 遂(つひ)に阿闍梨(あじやり)其地(そのち)に至(いた)りて霊像(れいざう)を