翻刻
【右丁 絵図、一字一行書は縦書きに改めた】
石神(しやくし)井 明神(みやうしんの)祠(やしろ)
【左丁】
しといひ伝(つた)ふ《割書:先の石神井(しやくじ)の城跡(しろあと)の条下(でうか)と合(あは)せみるべし永禄(えいろく)の頃(ころ)は小田原(をたはら)北条家(ほうでうけ)の|臣(しもんん)中村(なかむら)平次(へいじ)左衛門(さゑもん)江戸(えと)練馬(ねりま)にて豊前(ぶぜん)方の地(ち)を所領(しよりやう)の中(うち)に加(くは)へ又 金曽木(かなそき)》
《割書:某(それかし)も練馬(ねりま)を領(りやう)する由(よし)北条家(ほうでうけ)の分限帳(ぶんげんちやう)にみえたり同書(おなじふみ)に嶋津(しまつ)孫四郎(まごしらう)と|いへる人の所領(しよりやう)のうちに豊島(としま)清光寺(せいくわうじ)分 練馬(ねりま)にも有(これ)_レ之(あり)と注(ちゆう)せり》
鎌倉(かまくら)大草紙(おほさうしに)曰(いはく) 文明(ぶんめい)九年正月十九日の夜(よ)顕定(あきさだ)憲房(のりふさ)定正(さだまさ)三人小勢(こせい)
にては叶(かなふ)ましとて上杉方(うへすぎかた)申合(まうしあはせ)上野(かみつけ)へ打越(うちこえ)大勢(おほせい)を催(もよほ)し景春(かげはる)を退治(たいぢ)
すべしとて太田(おほた)道真(だうしん)を殿(しんがり)にて利根川(とねかは)を渡(わた)り那波(なは)の莊(しやう)へ引退(ひきしりぞく)景春(かげはる)
一 味(み)の族(やから)には武州(ぶしう)豊島郡(としまのこほりの)住人(ぢゆうにん)豊島(としま)勘解由(かげゆ)左衛門尉(さゑもんのぜう)同(おなじく)弟(おと)平左衛門(へいさゑもんの)
尉(ぜう)石神井(しやくじ)の城(しろ)練馬(ねりま)の城(しろ)を取立(とりたて)江戸(えと)河越(かはこえ)の通路(つうろ)を取切(とりきり)云々又 同書(おなしふみに)
曰(いはく)文明(ぶんめい)九年四月十三日道潅(だうくわん)江戸(えと)より打(うつ)て出(いで)豊島(としま)平右衛門尉(へいゑもんのぜう)が平(ひら)
塚(つか)の城(しろ)を取巻(とりまき)城外(じやうぐわい)を放火(ほうくわ)して帰(かへ)りける所(ところ)に豊島(としま)が兄(あに)の勘解由(かげゆ)
左衛門(さゑもん)を頼(たのみ)ける間(あひだ)石神井(しやくじ)の城(しろ)練馬(ねりま)の両城(りやうじやう)より出(いで)攻来(せめきたり)ければ太田(おほた)
道潅(だうくわん)上杉(うへすぎ)刑部(ぎやうぶの)少輔(せういふ)千葉(ちは)自胤(よりたね)以下(いげ)江古(えこ)田原(たはら)沼袋(ぬまふくろ)と云(いふ)所(ところ)に馳向(はせむか)ひ
合戦(かつせん)して敵(てき)は豊島(としま)平左衛門尉(へいさゑもんのぜう)を初(はじめ)として板橋(いたはし)赤塚(あかつか)以下(いけ)百五十人
討死(うちしに)す同十四日 石神井(しやくし)の城(しろ)へ押寄(おしよせ)責(せめ)ければ降参(かうさん)して同月十八日に