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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之13 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之13 - ページ 35

ページ: 35

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【右丁】  罷出(まかりいで)対面(たいめん)して要害(ようがい)破却(はきやく)すべき由(よし)申(まうし)ながら又 敵対(てきたい)の様子(やうす)に見え  ければ攻落(せめおと)す云々 立野(たちのゝ)旧跡(きうせき) 今(いま)指(さす)所(ところ)一ならずといへども新座郡(にゐくらこほり)に属(ぞく)して引又村(ひきまたむら)の南(みなみ)に  隣(とな)り舘村(たてむら)と称(とな)ふる地(ち)あり是(こ)れ其(その)旧跡(きうせき)ならん《割書:しかれども旧跡(きうせき)の地(ち)皆(みな)村(むら)|里(さと)の称(しよう)に従(したが)ひ原野(げんや)の称(しよう)も》  《割書:自(おのづか)ら古名(こめい)をうしなふ中古(ちゆうこ)に至(いた)りては又いつしか|多知(たち)をも多天(たて)と転訓(てんくん)し字(じ)をも今(いま)は舘村(たてむら)と更(あらため)たり》土人(とじん)云(いふ)黒馬川(くろまかは)といふを中(なか)に挾(はさ)み梁瀬(やなせ)  川(かは)白子(しろこ)の辺(あたり)迄(まで)の地(ち)すべて古(いにしへ)の牧野(まきの)の旧跡(きうせき)なりと云 依(よつ)て考(かんが)ふるに  其地(そのち)水(すゐ)浜(ひん)にして地勢(ちせい)尤(もつとも)馬(うま)を牧(ぼくする)に便(たより)よろしく土人(とじん)の説(せつ)頗(すこぶる)拠(よりところ)あるに  似(に)たり《割書:同名の地(ち)足立(あたち)賀美(かみ)|都筑(つつき)等(とう)の郡(こほり)にもあり》又 大江戸(おほえど)より西(にし)の方(かた)の地(ち)に練馬(ねりま)竹馬沢(ちくまさわ)内牧(うちのまき)  黒馬川(くろまかは)引馬多(ひきまた)《割書:今(いま)馬多(また)を|又(また)に作(つく)る》馬引沢(うまひきさは)駒林(こまはやし)野牧(のまき)《割書:今(いま)野馬(のま)|木(き)とす》等(とう)の地名(ちめい)多(おほ)きも  牧野(まきの)に因(よ)る証(しよう)なり  拾芥抄曰 年中行事部   八月二十日牽武蔵小野御馬《割書:中略|》二十五日牽武蔵   立野馬  同書曰 牧名   石川 田比 立野 小野 秩父 已上武蔵云々 【左丁】  公事根元曰   八月廿日には武蔵国小野御馬四十疋をひかる其外(そのほか)秩父(ちゝぶ)の御馬(みうま)   廿疋 立野(たちの)の御馬(みうま)十五疋毎年にたてまつる云々  後撰集 兼輔(かねすけ)朝臣(あそん)左近(さこん)少将(せうしやう)にはへりける時(とき)むさしの御馬(みうま)むかへに      まかりたつ日にはかにさはる事ありてかはりに      同し司(つかさ)の少将にて迎(むかひ)にまかりて逢坂(あふさか)より随身(ずゐしん)を      かへしていひ送(おく)りける   秋霧の立野の駒を引時は心にのりて君そ恋しき 藤原忠房  新勅撰   日をへては秋風寒し棹鹿のたち野のまゆみ紅葉しにけり 信実  続千載   花藤ほのかに聞は秋霧の立野のすゑに男鹿なくなる 入道太政大臣  続後拾遺   今は身のよそに隔つる秋霧の立野の駒はけふか引らし 新院  夫本   旅人の立野の原のから錦織はへさらす秋萩の花 冷泉太政大臣  同     棹鹿の立野の原の橋もみち声かわく迄ふくあらしかな 公朝  同   さをしかの立野の真葛かれねたゝ恨し程そねもなかれける 有重  伊平家哥合   春霞立野の藤つのくめは冬たになつむ駒そいはゆる 通平  古今六帖   あふ坂に引らむ駒を秋霧の立野かとこそとはまほしけれ 貫之