翻刻
【右丁】
罷出(まかりいで)対面(たいめん)して要害(ようがい)破却(はきやく)すべき由(よし)申(まうし)ながら又 敵対(てきたい)の様子(やうす)に見え
ければ攻落(せめおと)す云々
立野(たちのゝ)旧跡(きうせき) 今(いま)指(さす)所(ところ)一ならずといへども新座郡(にゐくらこほり)に属(ぞく)して引又村(ひきまたむら)の南(みなみ)に
隣(とな)り舘村(たてむら)と称(とな)ふる地(ち)あり是(こ)れ其(その)旧跡(きうせき)ならん《割書:しかれども旧跡(きうせき)の地(ち)皆(みな)村(むら)|里(さと)の称(しよう)に従(したが)ひ原野(げんや)の称(しよう)も》
《割書:自(おのづか)ら古名(こめい)をうしなふ中古(ちゆうこ)に至(いた)りては又いつしか|多知(たち)をも多天(たて)と転訓(てんくん)し字(じ)をも今(いま)は舘村(たてむら)と更(あらため)たり》土人(とじん)云(いふ)黒馬川(くろまかは)といふを中(なか)に挾(はさ)み梁瀬(やなせ)
川(かは)白子(しろこ)の辺(あたり)迄(まで)の地(ち)すべて古(いにしへ)の牧野(まきの)の旧跡(きうせき)なりと云 依(よつ)て考(かんが)ふるに
其地(そのち)水(すゐ)浜(ひん)にして地勢(ちせい)尤(もつとも)馬(うま)を牧(ぼくする)に便(たより)よろしく土人(とじん)の説(せつ)頗(すこぶる)拠(よりところ)あるに
似(に)たり《割書:同名の地(ち)足立(あたち)賀美(かみ)|都筑(つつき)等(とう)の郡(こほり)にもあり》又 大江戸(おほえど)より西(にし)の方(かた)の地(ち)に練馬(ねりま)竹馬沢(ちくまさわ)内牧(うちのまき)
黒馬川(くろまかは)引馬多(ひきまた)《割書:今(いま)馬多(また)を|又(また)に作(つく)る》馬引沢(うまひきさは)駒林(こまはやし)野牧(のまき)《割書:今(いま)野馬(のま)|木(き)とす》等(とう)の地名(ちめい)多(おほ)きも
牧野(まきの)に因(よ)る証(しよう)なり
拾芥抄曰 年中行事部
八月二十日牽武蔵小野御馬《割書:中略|》二十五日牽武蔵
立野馬
同書曰 牧名
石川 田比 立野 小野 秩父 已上武蔵云々
【左丁】
公事根元曰
八月廿日には武蔵国小野御馬四十疋をひかる其外(そのほか)秩父(ちゝぶ)の御馬(みうま)
廿疋 立野(たちの)の御馬(みうま)十五疋毎年にたてまつる云々
後撰集 兼輔(かねすけ)朝臣(あそん)左近(さこん)少将(せうしやう)にはへりける時(とき)むさしの御馬(みうま)むかへに
まかりたつ日にはかにさはる事ありてかはりに
同し司(つかさ)の少将にて迎(むかひ)にまかりて逢坂(あふさか)より随身(ずゐしん)を
かへしていひ送(おく)りける
秋霧の立野の駒を引時は心にのりて君そ恋しき 藤原忠房
新勅撰
日をへては秋風寒し棹鹿のたち野のまゆみ紅葉しにけり 信実
続千載
花藤ほのかに聞は秋霧の立野のすゑに男鹿なくなる 入道太政大臣
続後拾遺
今は身のよそに隔つる秋霧の立野の駒はけふか引らし 新院
夫本
旅人の立野の原のから錦織はへさらす秋萩の花 冷泉太政大臣
同
棹鹿の立野の原の橋もみち声かわく迄ふくあらしかな 公朝
同
さをしかの立野の真葛かれねたゝ恨し程そねもなかれける 有重
伊平家哥合
春霞立野の藤つのくめは冬たになつむ駒そいはゆる 通平
古今六帖
あふ坂に引らむ駒を秋霧の立野かとこそとはまほしけれ 貫之