翻刻
【右丁】
膝折里(ひさせをりのさと) 新座郡(にゐくらこほり)に属(ぞく)す江(え)戸より河越(かはこえ)へ至(いた)るの街道(かいだう)にして白子(しろこ)より
行 程(てい)一里(いちり)駅站(ゑきてん)あり所沢(ところさは)よりは艮(うしとら)に当(あた)りて其間(そのあいだ)三里あまり
あり《割書:北条家(ほうでうけ)の分限帳(ぶんげんちやう)に六郷殿(ろくがうとの)所領(しよりやう)と|ある中に川越内(かはこえうち)膝折(ひざをり)廿 貫文(くわんもん)とあり》
《割書:回国雑記|》 《割書:ひさをりといへる里(さと)に市(いち)はへりしはらくかりやに休(やすみ)て|例(れい)の俳諧(はいかい)を詠(えい)して同行にかたり侍る》
商人はいかて立らん膝折の市に脚気を得にそありける
《割書:此(この)和哥(わか)に脚気(かつけ)と詠(えい)せられしは家笥(かけ)或(あるひ)は家器(かつけ)に作(つく)るを正字(しようじ)とす此地(このち)の農家(のうか)|古来(こらい)より食器(いゝのうつは)を収(をさむ)るの具(ぐ)なりと云 礼記(れいき)の註(ちゆう)に笥(し)は食(しよく)を盛(もる)の器(うつは)なりといへるに》
《割書:恊(かな)へり今(いま)は茶碗(ちやわん)を入る具(ぐ)とす道興(どうこう)准后(じゆこう)の詠(えい)は膝折(ひざをり)といふをもとなさむとて|家笥(かけ)を脚気(かつけ)にとりなされたりし秀句(しうく)なり》
宗岡宿(むねをかのしゆく) 引又(ひきまた)の宿(しゆく)より北(きた)の方 内川(うちかは)といふを隔(へだ)てゝ向(むかふ)にあり《割書:宗岡(むねをか)は入間(いるま)|郡(こほり)に属(ぞく)し》
《割書:引又(ひきまた)は新座(にゐくら)|郡(こほり)に入(い)る》此地(このち)は古(いにしへ)の奥州(あうしう)街道(かいだう)にして其頃(そのころ)相州(さうしう)鎌倉(かまくら)への通路(つうろ)なり
今(いま)の中仙道(なかせんだう)上尾(あげを)浦和(うらわ)等(とう)の地(ち)より入(いり)て宗岡(むねをか)引又(ひきまた)及(およ)び野火留(のひとめ)の南(みなみ)を
折(をれ)て清戸(きよと)の辺(あたり)より多摩郡(たまこほり)の府中(ふちゆう)へかゝり今(いま)の大山(おほやま)通道(つうたう)といふを
経(へ)て鎌倉(かまくら)へは行(ゆき)しとなり《割書:此地(このち)に用水(ようすゐ)あり引又(ひきまた)の宿(しゆく)を流(なが)れて内川(うちかは)の橋(はし)|際(きは)にいたるかしこに枡(ます)をまうけ川(かは)を隔(へだ)てゝ宗岡(むねをか)の地(ち)へ》
《割書:樋(とひ)を通す宝永(ほうえい)の頃(ころ)秋元侯(あきもとこう)川越(かはこえ)を領(りやう)せられし頃(ころ)農耕(のうかう)の助(たすけ)として野火留(のひとめ)の用水を|こゝに引(ひか)しむるとなり其頃(そのころ)白井(しらゐ)某(それがし)なる人此 樋(とひ)の懸方(かけかた)を工夫(くふう)なして四十八 段(たん)にかけ》
【左丁】
《割書:たりといふ此故(このゆゑ)土人(とじん)字(あざな)して|いろは樋(とひ)と称(しよう)せり》
《割書:回国雑記 むね岡(おか)といへる所(ところ)を通(とほ)りはへりけるに|夕(ゆふべ)の煙(けふり)を見(み)て》
夕煙あらそふ暮をみせてけり我家〳〵のむね岡の宿 道奥准后
内川(うちかは) 水源(みなもと)は多摩郡(たまこほり)秩父郡(ちゝぶこほり)等(とう)の山谷(さんこく)より発(はつ)する所(ところ)にして入間郡(いるまこほり)に
入て川越(かはこえ)の北(きた)を東流(とうりう)し引又(ひきまた)と宗岡(むねをか)の西(にし)にて梁瀬川(やなせかは)の水流(すいりう)と合(がう)して
内間木(うちまき)の南(みなみ)を流(なが)れ荒川(あらかは)に会(くわい)するものをすべて内川(うちかは)と称(しよう)せり
《割書:荒川(あらかは)は入間郡(いるまこほり)の北(きた)の際(かぎ)りを流(なが)れこの|川(かは)は其(その)南(みなみ)を流(なが)るゝゆゑに内川(うちかは)の号(がう)あり》此川(このかは)宗岡(むねをか)引又(ひきまた)の間(あひだ)に至(いた)りては
ひろさ十五 間(けん)あまりあり引又(ひきまた)の方(かた)は船路(ふなぢ)運送(うんさう)の地(ち)にして
江戸(えと)迄(まて)凡(およそ)九里(くり)計(ばかり)あり
十玉院(しふぎよくゐん) 南城山(なんじやうさん)八幡寺(はちまんじ)と号(がう)す宗岡(むねをか)より十八町 程(ほど)を隔(へだ)てゝ西北(にしきた)の
方下 南畑村(なんはたむら)にあり本山派(ほんさんは)の修験(しゆげん)にして本尊(ほんそん)不動(ふどう)明王(みやうわう)立像(りふざう)一尺
七寸脇士(けふし)二童子(にとうし)は一尺 斗(ばかり)にして共(とも)に智証(ちしよう)大師(だいし)の作(さく)なりといへり《割書:此地(このち)は難(なん)|波田(はた)弾(だん)》
《割書:正(じやう)が住(すみ)たりし旧跡(きうせき)なり当院(たうゐん)もと同郡(どうぐん)水子村(みづこむら)にあり後(のち)清戸(きよと)芝山(しばやま)の地(ち)に移(うつ)り又(また)難波田(なんはた)|弾正(たんじやう)戦死(せんし)するの後(のち)北条家(ほうでうけ)より此地(このち)を賜(たま)はりてこゝに遷(うつ)りたりといふ按(あんする)に此(この)弾正(たんじやう)が篭(こも)りし》