翻刻
【右丁】
《割書:石の古(こ)|碑(ひ)あり》九十九塚(つくもつか)《割書:方丈(はうちやう)より五十 歩(ほ)ばかりを隔(へだ)てゝ後(うしろ)の山中(やまのなか)にあり高(たか)さ壱丈|ばかりに土(つち)を築(つ)き上(うへ)に雑樹(ざふじゆ)繁茂(はんも)す前(まへ)に挙(あぐ)る如(ごと)く古(いにしへ)野火(のひ)を》
《割書:禦(ふせ)がん為(ため)にまうけたりしものなるを後世(こうせい)伊勢(いせ)物語(ものかたり)に|附会(ふくわい)してかゝる名(な)をば命(めい)せしならむ》業平塚(なりひらつか)《割書:九十九塚(つくもつか)より北(きた)|三十 歩(ほ)あまりを》
《割書:隔(へだ)てゝあり是(これ)も九十九塚(つくもつか)に同(おな)しく古(いにしへ)野火(のひ)を遮(さへぎ)り止(とむ)る為(ため)に築(つき)たりしものなるべきを|後世(こうせい)好事(こうず)の人 伊勢(いせ)物語(ものかたり)によりて名付(なつけ)しなるべし塚上(ちようしやう)石碑(せきひ)を建(たて)て和歌(わか)一 首(しゆ)を》
《割書:ちりばめたり其(その)詠(えい)に云くむさし野(の)にかたり伝(つた)へし在原(ありはら)の|其名(そのな)を忍(しの)ぶ露(つゆ)の古塚(ふるつか)とあれども証(しよう)とすべきにあらず》桜車道(さくらくるまのみち)《割書:平林寺(へいりんじ)境内(けいだい)|西北(にしきた)の方(かた)の》
《割書:通路(とほりみち)をしか名(な)つく昔(むかし)当寺(たうじ)岩附(いはつき)にありしを此地(このち)に迁(うつ)せし頃(ころ)堂材(たうさい)運送(うんそう)の目的(めあて)として|此(この)通路(とほりみち)の両辺(りやうへん)へ桜(さくら)を栽(うゑ)たりしとなり 今(いま)老樹(らうじゆ)となりて数十株(すしうちやう)存(そん)して春時(しゆんじ)爛漫(らんまん)たり》
弁財天宮(べんさいてんのみや)《割書:同(おな)し道(みち)の北(きた)にあり方(はう)二 百歩(ひやくほ)あまりの池(いけ)の中嶋(なかしま)に|安置(あんち)す天女(てんによ)の霊像(れいざう)は弘法(こうはう)大師(だいし)の作(さく)にして霊験(れいけん)いちしるしと云》戴渓堂(たいけいだう)《割書:支院(しゐん)聯芳(れんはう)|軒(けん)の地(ち)に》
《割書:あり内(うち)に独立(どくりふ)禅師(ぜんじ)の紫銅(しとう)壱尺二三寸あまりの白衣(びやくえ)観音(くわんおん)及(およ)び禅師(ぜんじ)の肖像(せうさう)等(とう)を安(あん)|置(ち)せり本尊(ほんそん)の宝龕(ほうがん)及(およ)び前机(ぜんき)等(とう)は禅師(ぜんし)携来(たづさへきたる)所(ところ)のものにしていづれも古雅(こが)なる》
《割書:物(もの)なり禅師(ぜんじ)の俗縁(ぞくえん)たりし肖像(せうざう)及(およ)び遺物(ゆゐもつ)等(とう)をこゝに収(をさ)むるとなり|二行目》
独立(どくりつ)禅師(ぜんし)木牌(もくはい) 《割書:像前(ざうぜん)にあり面(おもて)には明(みん)独立易(どくりつえき)禅師(ぜんじ)覚位(かくゐ)とあり背(うしろ)には|寛文(くわんぶん)十二年壬子十一月初六日 寂(ぢやくす)享保(きやうほ)元年丙申七月 穀旦(こくたん)奉(ほう)》
《割書:祀(しす)干 載渓堂(たいけいだう)中(ちゆう)弟子(ていし)高玄岱(かうげんたい)謹(つゝしんて)誌(しるす)とあり|》
額(がく)《割書:同(おな)し堂(たう)|の軒(のき)に》
《割書:掲(かく)る点雲(てんうん)|老納(らうなう)書(しよ)とあり》
【一字一行書は縦書き表示に、枠囲い部分は「」で示した】
「載渓堂」
聯(れん)《割書:同く|外の》
《割書:柱(はしら)に|掲(かく)る》
「衣冠去国存君父」
「日月還天耀古今」
額(がく)《割書:観音(くわんおん)の|上(うへ)に掲(かく)る》
《割書:玄岱(げんたい)書(しよ)|なり》
【左丁】
「天竺古先生」 裏(うら)に
載渓堂中(けいたいたうちゆう)
観音(くわんおん)大士(たいしの)扁額(がく)
享保(きやうほ)元年丙申
七月穀旦(こくたん)
高玄岱(かうげんたい)置
「梅花関主」 同(おな)し右(みぎ)
に掲(かく)る
普照(ふせう)
国師(こくし)
の書(しよ)也
「五夜禅灯三昧火」 《割書:観音(くわんおん)の前(まえ)の|左右(さいう)に掲(かけ)》
「萬秊藤凡乙枝香」 《割書:たり天間野|衲自題と》
《割書:ありて独立(どくりつ)及(およ)び天外(てんぐわい)一間人(いつかんじん)等(とう)の印章(ゐんしやう)をそへたり裏(うら)に|先師(せんし)関中(かんちゆう)之(の)対聯(たいれん)也 今(いま)特(ことに)新荘(しんさう)用(して)照(もつて)旧(ふるきを)云(てらすと)時(いふとき)享保(きやうほ)二》
《割書:年歳次丁酉十月穀旦(こくたん)弟子(ていし)高玄岱(かうげんたい)重(かさねて)拝建(はいこん)とあり|》
木牌(もくひ)一枚《割書:同(おな)し堂中(たうちゆう)にあり独立(どくりつ)禅師(ぜんじ)行状(ぎやうぢやう)の記(き)なり高(たかさ)五尺あまり巾(はゞ)四尺ばかり黒漆(うるし)|を以(もつ)て塗(ぬり)上(うへ)に文字(もんじ)を鐫(ちりはめ)たり銘文(めいぶん)は高玄岱(かうげんたい)の撰(せん)なり》
明独立易禅師碑銘幷序因州刺史越智直郷君章父
篆門人高玄岱謹撰幷書
師明之載笠荷鉭人曼公先生也杭州仁和県人
其先出晋載安道世家山陰会稽及祖父始出徒
焉#1父銓部敬橋有善行母陳氏姚江陳竜江女身
六産而乳七子末産雙男師即其一実生於万暦
秊#2二月十九日幼名観胤因其大士同辰也天資
頴悟読書過目軋誦幼学挙子業𤼭登黌序然不
喜𣆅文八股秊二旬有五罹会城灾股当魏豎乱
朝竟棄呫嗶放遊卥湖欣頜山水之趣秊比三十
未能為詩一日友社逼師賦詩即応声曰我来渓
頭坐渓月畱我宿祇此二句衆皆嘆異嗣後凡有
題到下筆沛然藻思傑出清新自然洗尽糟粕不
襲人語秊斉五十明亡清代一天虜塵不勝惨憤
乃往長水語渓巻晦焉𣆅有粤人某招同桴海快
滌煩襟癸巳早春発行三月抵崎時承応二秊也