翻刻
【右丁】
《割書:北条氏康(ほうでううぢやす)の男(なん)氏照(うぢてる)を聟(むこ)とし苗跡(めうせき)を継(つが)せ同国(どうこく)由井(ゆゐ)に居城(きよじやう)せしむ氏照(うぢてる)後(のち)本姓(ほんせい)にかへり八王(はちわう)|子(じ)の城(しろ)に移(うつ)る此等(これら)の人の祖先(そせん)なるべし依(よつて)考(かんが)ふるに大石氏(おほいしうぢ)北条家(ほうでうけ)に縁(えむ)あり故(ゆゑ)に氏照(うぢてる)の舎弟(しやてい)を》
《割書:当寺(たうじ)に居(お)らしめ又 長源寺(ちやうげんじ)にも|氏照(うぢてる)の霊牌(れいはい)を置(おき)たるなるべし》
北野天神社(きたのてんしん ) 永源寺(えいげんじ)より二十三四丁 西(にし)の方 北野郷(きたのかう)にあり《割書:花洛(くわらく)北野天神(きたのてんしん)を|祭(まつ)りし故(ゆゑ)に此号(このかう)あり》
《割書:又 北野(きたの)とは武蔵野(むさしの)の|北野(きたの)といふ意(こゝろ)なり》大宮司(たいくうし)栗原氏(くりはらうぢ)奉祀(ほうし)す《割書:相伝(あひつたふ)天児屋根命(あまつこやねのみこと)二十六代 大中臣(おほなかとみの)|朝臣今麻呂(あそんいままろ)の長男(ちやうなん)多美丸(たみまろ)の苗裔(びやうえい)》
《割書:と|云(いふ)》毎歳(まいさい)正月十七日 奉射(ぶしや)二月廿一日は物部天神祭(ものゝべてんしんまつり)同廿五日は天満宮(てんまんくう)の
祭(まつり)にて遠近(おちこち)より群参(ぐんさん)せり
本社(ほんしや)祭神(さいしん)物部神(ものゝべのかみ)出雲伊波比神(いづもいはひのかみ)国渭地祇神(くにゐちきのかみ)天満天神(てんまんてんしん)篭手差(こてさし)
原明神(はらみやうしん)等(とう)の四神を相殿(あひでん)とす《割書:続日本紀(ぞくにほんき)神護景雲(しんごけいうん)二年戊申秋七月壬午|武蔵国(むさしのくに)入間郡(いるまこほり)の人 物部直広成(ものゝべのあたひひろなり)等(ら)六人》
《割書:姓(せい)を賜(たま)はりて入間(いるま)の宿祢(すくね)と称(しよう)すとあれば|入間郡(いるまこほり)に世々(よゝ)物部氏(ものゝべうぢ)の人 住(すま)れしとみゆ》
尊桜(みことさくら)《割書:社前(しやぜん)にあり枝葉(しえふ)繁茂(はんも)す花(はな)は単弁(たんべん)なり|相伝(あひつた)ふ往古(そのかみ)日本武尊(やまとたけのみこと)東征(とうせい)の頃(ころ)栽(うゑ)給ふといふ》
大納言梅(たいなごんのうめ)《割書:天正(てんしやう)十八年庚寅 加州亜相利家卿(かしうあしやうとしいへきやう)当社(たうしや)を再興(さいこう)ありし頃(ころ) |是(これ)を栽(うゑ)られたりといふ花(はな)は白色にして単弁(たんべん)なり》
社記曰(しやきにいはく)地主(ぢぬし)物部天神(ものゝべてんしん)国渭地祇社(くにゐちきのやしろ)出雲祝神社(いづもいはひのしんしや)は
人皇(にんわう)十二代 景行天皇(けいかうてんわう)の四十年 皇子(わうし)日本武尊(やまとたけのみこと)東夷征(とうゐせい)
【左丁】
罰(はつ)の時(とき)武蔵野(むさしの)に入賜(いりたま)ふに諸軍(しよくん)大(おほい)に渇(かつ)す《割書:井泉(せいせん)を穿(うか)つに|水(みつ)を得(う)る事なし》
《割書:堀兼井(ほりかねのゐ)といふは是(これ)なり此所(このところ)より|一里(いちり)あまり北(きた)の方(かた)堀兼村(ほりかねむら)にあり》時(とき)に老翁(らうをう)忽然(こつせん)として来(きた)り
尊(みこと)を導(みちびき)て此地(このところ)に至(いた)らしむるに清泉(せいせん)ありて諸軍(しよぐん)の労(らう)を救(すく)ひ給ふ
《割書:翁(おきな)の帰(かへ)る方(かた)を|《振り仮名:向が岡|むかひ をか》といふと云々》尊(みこと)其時(そのとき)天神(てんしん)地祇(ちき)剣(つるぎ)の義神(ぎしん)を祭(まつり)給へば戦(たゝか)はずして
自(おのづから)伏(ふく)し奉(たてまつ)るとなり《割書:物部(ものゝべ)天神(てんしん)国渭(くにゐ)地祇社(ちきのやしろ)出雲祝神社(いづもいはひのしんしや)等(とう)にして是(これ)を武尊(ぶそん)|一時 三箇( か)の御勧請( くわんじやう)と称(しよう)す延喜式内(えんぎしきない)入間郡(いるまこほり)三座の神社(しんしや)即(すなはち)》
《割書:是(これ)なり尊(みこと)の佩(はい)せる《振り仮名:草薙の御剣|くさなぎ ぎよけん》は元(もと)出雲国(いづものくに)《振り仮名:八岐の大蛇|やまた おろち》の|尾(を)より出(いで)たるを以(もつ)て出雲祝神社(いづもいはひのしんしや)とす称(しよう)し奉るといへり》同四十一年辛亥正月
十七日 土人(とじん)集(あつま)り方(はう)八丁の地(ち)に三神の社檀(しやだん)を経営(けいえい)す《割書:毎歳(まいさい)正月十七日|奉射(ぶしや)の式(しき)あるも》
《割書:此 遺風(いふう)|なりといふ》同年二月二十一年に遷宮(せんぐう)あり《割書:毎(まい)年二月廿一日を以(もつ)て大祭(たいさい)の|辰(しん)とするも此(この)所以(ゆゑん)なり》其後(そののち)
欽明天皇(きんめいてんわう)の十二年辛未十一月十五日 武蔵野(むさしの)小手差原(こてさしはら)の霊神(れいしん)
及(およ)び日本武尊(やまとたけのみこと)を合祭(がつさい)し小手指明神(こてさしみやうしん)と崇(あがめ)奉(たてまつ)る又 一条院(いちでうのゐん)の
御宇(ぎよう)菅丞相(かんしやう〳〵)五世の孫(そん)菅原修成(すがはらのなるなり)武蔵国(むさしのくに)の国主(こくしゆ)たりし時(とき)菅公(かんこう)の
霊尓(れいじ)ある後(のち)長徳(ちやうとく)元年乙未二月二十五日 勅許(ちよくきよ)によりて花洛(くわらく)北野(きたの)
天満宮(てんまんくう)を始(はじめ)て関東(くわんとう)に移(うつ)し奉(たてまつ)らる依(よつて)坂東(ばんどう)弟一 北野天神(きたのてんしん)と