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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之13 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之13 - ページ 74

ページ: 74

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【右丁 絵図】 焼米坂(やきこめさか) 此地(このち)に焼米(やきこめ) を鬻(ひさ)く家(いへ) ある故(ゆゑ)に名(な) とす 本名(ほんみやう)は 浦和坂(うらわさか) なり 【左丁】  応永(おうえい)二十年癸巳三月朔日 寿齢(よはひ)九十一歳(さい)にして逝去(せいきよ)ありしと云  則(すなはち)当寺(たうじ)の開基(かいき)にして自性院(じしやうゐん)義英(ぎえい)源宗(げんそう)庵主(あんしゆ)と号(がう)す《割書:昔(むかし)は薬師堂(やくしだう)のみ|存(そん)していづれの世(よ)》  《割書:より在(あり)しと云(いふ)を知(し)らずとなり寛永(くわんえい)の頃(ころ)あらたに一宇(いちう)の|蘭若(らんにや)とし薬王(やくわう)の二字(にじ)を寺号(じがう)とすといへり》 長誓山(ちやうせいさん)妙顕寺(みやうけんじ) 戸田(とた)の渡口(わたし)より二十町あまりを隔(へだ)てゝ西(にし)の方 新(にひ)  曽村(そむら)にあり《割書:戸田(とた)の羽黒(はくろ)権現(ごんげん)|より此所(このところ)へ近道(ちかみち)あり》日蓮宗(にちれんしう)の一本寺にして弘安(こうあん)三年庚辰  当国(たうこく)新倉(にひくら)の領主(りやうしゆ)隅田(すた)五郎(ごらう)時光(ときみつ)といふ人 開基(かいき)す《割書:寺記(じき)に云(いふ)時光(ときみつ)は|惟康(これやす)親王(しんわう)に属(ぞく)し》  《割書:新倉(にひくら)に住(ぢゆう)す弘安(こうあん)二年 甲州(かうしう)身延山(みのぶさん)に至(いた)り日蓮(にちれん)上人に謁(えつ)して祝髪(しゆくはつ)し|名(な)を日徳(にちとく)とあらたむ正中(しやうちゆう)二年乙丑十二月十二日 寂(じやく)す当寺(たうじ)弟(だい)三世に称(しよう)す》開山(かいさん)は六 老(らう)  僧(そう)第四位(たいしゐ)民部(みんぶ)阿闍梨(あじやり)日向(にちかう)上人なり《割書:宗祖(しうそ)上人の旨(むね)に任(まか)せ当寺(たうじ)の開(かい)|山(さん)となる正和(しやうわ)三年甲寅九月三日》  《割書:総州(さうしう)法花谷(ほつけたに)の草堂(さうだう)に|於(おい)て示寂(じじやく)世寿(ことぶき)六十一》  本堂(ほんたう)日蓮(にちれん)上人の像(ざう)を安置(あんち)す《割書:中老僧(ちゆうらうそう)日法(にちほう)上人の作(さく)なり世(よ)に子安(こやす)日蓮(にちれん)|上人と称(しよう)せり等身(とうしん)にして物(もの)に腰(こし)をかけ》  《割書:られたる|御影(みえい)なり》  釈迦(しやか)牟尼仏堂(むにぶつだう) 《割書:本堂(ほんたう)より左(ひだり)の方にあり本堂(ほんたう)より廊(らう)を儲(まう)く世(よ)に子安(こやす)釈迦(しやか)|如来(によらい)と称(しよう)す此(この)霊像(れいさう)は当寺(たうじ)の開基(かいき)時光(ときみつ)が家(いへ)に累世(るいせ)伝(つた)はる》  《割書:所(ところ)の念持仏(ねんぢぶつ)なりしと云(いふ)文永(ぶんえい)八年 其(その)妻(つま)難産(なんさん)を愁(うれ)ふる頃(ころ)時光(ときみつ)の夢(ゆめ)に|告(つげ)て日蓮(にちれん)上人の妙符(みやうふ)を 乞(こ)はしめ安産(あんさん)ならしめ給ひし霊像(れいさう)なり》