翻刻
【右丁 絵図】
不動
荒波々
幾社 宗像社
みたうし
女体宮
五山祇社
男体宮
あたご
【左丁】
存(そん)す然(しか)も猶(なほ)沼(ぬま)の水中より九月八日 大神事(おほしんし)のまへ又は十二月
大晦日(おほつごもり)の夜(よ)なと時(とき)として竜灯(りうとう)現(けん)する事ありといへり
例祭(れいさい)九月八日と六月十四日なり就中(なかにも)九月八日を舩祭(ふなまつり)とし御沼(みぬま)
の中(うち)へ神輿(しんよ)を舩(ふね)にて渡(わた)し奉(たてまつ)り沼(ぬま)の中(うち)にて神酒(じんしゆ)を供(くう)するの
儀式(きしき)あり《割書:上代の瓶子(へいし)今 猶(なほ)神主(かんぬし)の家(しへ)に|蔵(さう)す最(もつとも)も稀古(きこ)の物なり》此日(このひ)神幸(しんかう)の時(とき)御前(ひるまへ)には北風(きたかせ)に
て舩(ふね)おのつから沼(ぬま)の中(うち)に至(いた)り還輿(くわんよ)の時(とき)は必(かならす)南風(みなみかせ)に変(な)りて神輿(しんよ)の
舩(ふね)また本(もと)の岸(きし)に到(いた)り着(つく)此事(このこと)振古(いにしへより)違(たか)ふことなしとかや
大智山(たいちさん)文殊寺(もんしゆし)大般若堂(たいはんにやたう)と号(かう)す《割書:社地(しやち)より一丁 程(ほと)|西南の方に在(あり)》社宝(しんほう)大般若経(たいはんにやきやう)
一部(いちふ)《割書:持統(ぢとう)天皇(てんわう)勅(ちよく)して納(おさ)め賜(たま)ふ所といふ昔時(むかし)関東(くわんとう)兵乱(へいらん)屢(しは〳〵)なりしかは管領(くわんれい)|国守(こくしゆ)より当社()》たうしやにおいて河越仙波中院の住侶等をして大般若経を転読》
《割書:せしめられしことあり経巻(しやうくわん)の末(すゑ)に其頃の行者(きやうしや)の名(な)を註(しる)す今に至りて毎年|正月八日天下 泰平(たいへい)の御祈祷(こきたう)として文殊寺(もんしゆし)に於て般若会(はんにやゑ)修行(しゆきやう)することあり》
簸川原(ひかはのはら) 其地(そのち)今 知(しる)へからす宮本社(みやもとのやしろ)より大宮(おほみや)の辺(へん)を指(さし)て云(いふ)へきか
《割書:武蔵国風土記曰足立郡簸川原出鮎鰻諸鮮芹紫|胡香需旱水共為民用云云》
《割書:右のことくあれは御沼(みぬま)の辺(へん)水沢(すゐたく)の地(ち)を惣(そう)して呼(よひ)たることく見(み)ゆ又大宮の南(みなみ)の方(かた)道(みち)の|左右三十丁はかりの原(はら)を大宮原(おほみやはら)とも唱(とな)ふれは若(もし)くは其辺ましくをいへるなるへし》