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安政二乙卯年大江戸大地震並焼場所細調記
【右下枠外】
●やけ○《割書:半|やけ》▲くづれ△《割書:半|くづれ》
それ天地のへんどうは陰よりの剛?じゆによつて生ずる処なりあるひは雲をおこし
て雨をふらし風を生じて雷をはつすこれ人身にやまいを生ずるがことし
アヽ天なるかな命なるかな時に安政ニ年卯の十月二日の四ツ時にわかに大地しん
どうなし大ぢしんゆりいだしその??事はてつじゆうのごとき土蔵人?かこと〳〵く
ざんじにゆりくづしその死ばうの人あげてかぞへかたしあはれはかなき事どもなり
まづ北は千しゆ宿大いにゆりくづれ小つか原はくつるるうへ出火してのこらず焼失す新
よし原は大半ゆりくずれ少しはのこるといへども京町壱丁め同二丁めゟ出火してすみ丁
あげや丁江戸丁壱丁め弐丁目めとも所々より出火しのこらず焼しつすゆう女その外死亡の
のかずしれず尤江戸丁壱丁め角の所二三けんのこり京丁壱丁めかたかは六七けんのこる五十
けん西がは半ぶん残るなり
【上段の最後の部分】
かかる大災の中 御城内は申に及ばす両御山御国ゆき御蔵等御そん亡
これなし扨万々歳 御仁政の有がたさには 御公儀様ゟ幸橋御門外深川
海辺大工町海辺しんでん浅草広小路上の山下同所へ上野 宮様ゟ一ケ所右之通
直に御小屋建たせられ不残民御救入その外御すくいの御手当種々有之誠に
御恩沢の難有事申も中々恐る也寝食の間も忘れ■天地に拝謝し
【参考 早稲田古典籍 https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko10/bunko10_08269/index.html】