翻刻
廿九日甲午
松平氏覚書曰牧野伝蔵林丹波守両 人 (は)豊後之御
目付をは川勝丹波守佐々権兵衛尉に相渡し肥後
国之内高瀬といふ所迄出る霜月廿九日に高瀬ゟ南
人船にて肥後之川尻迄可被参迚出船之所に日和悪
きに付大浜といふ所ゟ上り陸路を川尻へ参着也
高瀬逗留之内に島原松倉居城へ船にて伝蔵
丹波守見舞として参る処に島原城中之人々加
勢を乞申程之仕合成は御目付御越迚不斜悦ひ
申処に其日舟にて高瀬迄戻らるゝ島原松倉城中
之人々跡之力迄落し男女迄力落する限なし
細川家島原軍記曰十一月廿九日伝蔵殿丹波守殿
高瀬ゟ川尻迄御越可被成旨にて御乗船之処に日
和悪に付大渡にて御上り陸路を御越夜に入川尻
へ御着此時上使松平甚三郎殿高瀬通直に川尻
江御着船川尻船共は此日三角之ハタガウ浦へ廻す
天草軍記曰長門守右近十一月廿九日島原へ令帰着
候家老共始家人共出合始終を申候得は長門守右
近もあきれ果候先月度々戦に討死候輩数多有
之不便成次第感惜せしめ到相残る者共大方