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を弐重屏にして中江はころた石を込み横矢
を取てそかけたりけり弐之曲輪にはか ね(◦)の
手にまかつて大きなる谷之底にはまん〳〵と
したる蓮池有其水百万之人数拾年廿年遣ふ
とも尽さる程之水也其谷は如何にも広く下
深く其谷に段々に小屋を懸て居たり其谷之
小屋共城外江は見へさりけり其天草丸又三
之曲輪是にも田畑少し有其間にも小屋を懸
たり又取出曲輪をして横矢を取てかこつた
り西之方には松山細く弐町計も長して上之
広さは四間もあらんか夫をも城中ゟかこつ
て持たり又一方天草之内大矢野に城一ツ取
立拵置也上津浦と云所にも城壱ツ取立る
吉利支丹物語曰此城と申は東は荒海西は沼塩
之差引有て馬之ひつめもたゝす南北岩石そ
ひへたり竪十八町横十町計中にから掘三重
に掘通し山之腰を掘て鉄炮さまをあけ本丸
に小天守を上ヶたく【?】櫓たく【?】塀逆茂木かいた
て二之丸三之丸迄思ふ図に拵へ立て籠る人
数は惣兵三万四五千に及へり中にもさけは