翻刻
押来る今村に野陣す
長崎記曰其頃迄は長崎奉行六月に下着し九月
迄在勤に而帰府ある榊原飛騨守馬場三郎左
衛門も在江戸にて此事聞同十二月五日に長
崎江下着
花房譜曰十二月三日榊原飛騨守父子長崎に至
る時に島原之一揆弥蜂起して天草是にくみ
す然といへとも長崎は兼而其徒を禁する故
一揆に応する者なし立花左近将監有馬玄蕃
頭其兵を分て長崎を驚【警の誤】固す職直子職信島原
に趣【赴の誤】て【之?】一揆已に有馬原之城に楯籠候
島原記曰長崎之奉行依 有馬大村丹後守純信
長崎を可驚【警の誤】固之旨蒙台命御暇被下到長崎驚【警の誤】
衛を固す三千之人数を領内浦上村迄出張右【布?在?】
陣す純信未赴長崎前に家臣大村彦右衛門純
勝を領内大浦江遣し爰に屯を居て守長崎を
大浦浦上は長崎之南北にして其間一里余也
曽而一揆等可放火長崎之謀を廻すといへ共
純信堅く守るに依て空企と云々又大村太左
衛門浅田弥次右衛門熊野市郞左衛門井石主