キリシタン関連史料を翻刻

コレクション: コレクション1

切支丹御退治記 49巻. [3] - 翻刻

切支丹御退治記 49巻. [3] - ページ 77

ページ: 77

翻刻

 押来る今村に野陣す 長崎記曰其頃迄は長崎奉行六月に下着し九月  迄在勤に而帰府ある榊原飛騨守馬場三郎左  衛門も在江戸にて此事聞同十二月五日に長  崎江下着 花房譜曰十二月三日榊原飛騨守父子長崎に至  る時に島原之一揆弥蜂起して天草是にくみ  す然といへとも長崎は兼而其徒を禁する故  一揆に応する者なし立花左近将監有馬玄蕃  頭其兵を分て長崎を驚【警の誤】固す職直子職信島原  に趣【赴の誤】て【之?】一揆已に有馬原之城に楯籠候 島原記曰長崎之奉行依 有馬大村丹後守純信  長崎を可驚【警の誤】固之旨蒙台命御暇被下到長崎驚【警の誤】  衛を固す三千之人数を領内浦上村迄出張右【布?在?】  陣す純信未赴長崎前に家臣大村彦右衛門純  勝を領内大浦江遣し爰に屯を居て守長崎を  大浦浦上は長崎之南北にして其間一里余也  曽而一揆等可放火長崎之謀を廻すといへ共  純信堅く守るに依て空企と云々又大村太左  衛門浅田弥次右衛門熊野市郞左衛門井石主