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春燈齊 鐫
猪の子餅の由來
摂津國(せつつのくに)能勢郡(のせごほり)木代(きしろ)切畑(きりばた)の両村(りやうそん)より毎年(まいねん)
禁庭(きんてい)へ調進(てうしん)し奉(たてまつ)るこれを御玄猪餅(おげんちよもち)の調貢(てうぐ)
といふ伝(てん) ̄ニ曰 ̄クむかし 神功皇后(じんくうくわうこう)三 韓(かん)を征(せい)し
御 凱陣(かいちん)のとき 皇太子(くわうたいし)《割書:応神(わうしん)|天皇》を供奉(ぐぶ)し給ふ
こゝに香阪(かうはん)王《割書:麛阪(かこざか)王|ならんか》といふ無道(むとう)人あり国家(こくか)を
奪(うばゝ)んとて軍勢(くんぜい)を催(もやふ)し 皇后を滅(ほろぼ)さんとて所々にて挑【左ルビ:いと】みたゝかひ此山
中に追駆(をいかけ)奉り既(すて)に害(がい)し奉らんとする所に猪(ゐのしゝ)多く出て香阪王を喰殺(くひころ)し
永く怨敵(をんてき)亡(ほろ)びけるこゝに於て 皇后太子ともに危難(きなん)を免(まぬか)れさせ給ふ天下 静(しづ)
まりて後(のち) 応神天皇の御代(みよ)より毎歳(まいさい)亥月亥日を祝(しゆく)し給ひ吉例として長く
御亥猪餅(おけんぢよもち)の供御(ぐご)を調貢(てうぐ)すべき詔(みことのり)ありて代々の 帝へ変らず三ツの亥共に捧(さゝ)げ
奉る也然るに中比に至り兵乱(へうらん)に依(よつ)て中絶(ちうぜつ)しけるを百八代 後陽成(ごやうぜい)帝の文禄
二年 再貢(さいぐ)ありて先規(せんき)の如く今に於てかはらずと□□
拾芥抄曰十月亥 ̄ノ日食_レ ̄ヘバ餅 ̄ヲ除_二 ̄ク萬病_一 ̄ヲ 下学集云 豕(いのこ)は毎年十二 子(し)を産(うむ)閏月 ̄ニハ
十三子を産故に女人 羨(うらやみ)_レ之 ̄ヲ 十月 豕(ゐ) ̄ノ日を祝(しゆく)すゆへに豕子と名づく十月を用るは
豕(ゐ)の月なるゆへに此月此日を用ゆ 委くは摂津名所図会 ̄ニ見へたり