翻刻
【右丁】
ゆく程に其間四五町にはすきさりけり猶も矢比ちかくゆく時は
足軽の兵に下知して鉄炮をはなしかけ〳〵しつかにうつかゝる所に
永井与次郎か沛艾の馬をあらく乗てかちたりけれは馬は放れて
飛あかり〳〵かたきに向てはしる永井はつゝゐて追てゆく忠勝
きつと見て一鞭あてゝ馬をはせ永井をつと追ぬいて敵の中に
追ひかふて終に其馬とり返し永井を乗せて帰けり秀吉の兵とも
にくし本多か今日のふるまひかなはせよつて蹴散して帰り候
はんといへは秀吉かたく制して龍泉寺に至る打もらされたる
みかたに家康はかちほこつてや有んすらんと問戦事終に
家康の御旗は小幡の城にむかつて入りぬと答ふ秀吉もおとらす
【左丁】
此所に陣を取忠勝物馴たる兵共にかたきの陣の取様見て来れ
とてつかはす能見覚て帰る猶覚束なくや思ひけんかさねて人を
つかはする都合六人に及ひて後徳川殿の御外叔父水野殿も《割書:惣兵衛尉忠重|後に和泉守》
ともなひ御前に参り忠勝か手の者いまた軍仕らねはつかれもせす忠重
の御勢と一つになつて今よひ龍泉寺に夜討せは一定犬山の
こなたにして秀吉か首取て見参に入候へし夜討の料にふるひもの
ともして敵のやうをは見覚て候と申す徳川殿いみしふこそ謀
たれ去なから夜軍はあやうきものと申この戦御方の利少な
からんたゝ此まゝに軍を全せんにはしかしとて小幡の城を出
給ひ夜半に小牧に入せ給ふ《割書:此夜討の事 後に仰られし事|岩淵夜話別集を見るへし》北畠殿