翻刻
【右丁】
忠勝かふるまひを感し給ふ事斜ならす御刀をこそ賜ひける
此後東西和睦ありて関白の御妹浜松に入たまふへしとある
悦申の御使に忠勝都にのほる 関白殿も今日の事をかたり
出されて一人当千の兵とは忠勝をこそいふへけれと感し仰下され
ける同十六年 叙爵する同十八年の夏関白殿北条をうち給ふ
時忠勝上方の軍勢と共に武蔵の岩槻の 城に向ひ大手の大将
承てまつ先に攻やふつて 敵を降す秀吉徳川殿に宣けるは
北条か国々すてに降りぬといへとも上総下総は大事の所なれは
忠勝して鎮させ候とあれは庁南の城にとゝまりて守る北条
滅て関白殿東山道に下り給ひしか忠勝を下野国宇津宮の
【左丁】
御陣に召れて冑壱ツ取出て奥の佐藤忠信かきたりしとて此程
陸奥国より参らせたる冑也当時忠勝ならて 此冑きんす
もの覚ねは 給らんとて召けるそとて賜ひける時の人うら山
しき事に思ひしに忠勝か嫡子平八郎忠政《割書:のちに|美濃守》ことし十六才
になりけるか父に向ひ父御はまさしく徳川殿の侍大将にてこそ
侍れ義経の侍の冑何条よくあらんとて返させ 給ふへしとて
いかりける同年 徳川殿関東へ御移あり井伊本多榊原大久保
なとはよのつねの人に候へからすと関白の仰有けれは上総国大
多喜の城にあまた地つけて賜けり《割書:十万石一|説に五万石》文禄の始朝鮮を
伐給ふとて関白殿築紫に御陣をめさる肥後国に凶徒起る
【右丁 頭部欄外】
小田原陣の時
初忠勝浜手を
守る 秀吉
徳川殿に宣ふ
旨ありしかは忠
勝仰を承り
家臣都筑惣左ヱ門
をして玉縄の
城に差遣北条
左ヱ門大夫か叔父
たる僧了達して
左ヱ門大夫を説き
降さしめ左ヱ門大夫
質を参らせ小田原
に来り忠勝によりて
徳川殿に見参し
其後秀吉に
見参すかくて
【左丁 頭部欄外】
秀吉浅野木村
して関東の国々
をめくらしめ
られて忠勝
あひ共に左ヱ門
大夫に案内させて
五月のはしめ
小田原をたつ
江戸佐倉土機【気の誤ヵ】
東金長南等の
城降り六月
岩槻の城を
責下し鉢方【形】
深谷に出て
北国勢と合て
八王子の城を
攻落し築井
をとる又秀吉の
命によりて
忠勝は上総国
長南の城を守て
上総下総の両国
をしつむ