翻刻
【右丁】
勝行ほとなく 世をはやうす《割書:勝行は十六歳にて慶安三年|六月十一日に死す勝行よつぎ》
《割書:絶し也 所領は政勝|あとを 領せしか》寛文十一年十一月朔日に政勝五十八歳
にて卒す二男出雲守正利父の領せし地を分ち賜ひ《割書:六万|石》
延宝七年播磨国明石の城を賜る
能登守藤原忠義は美濃守忠政か三男也《割書:十三歳にして父に|したかひ大坂の軍に》
《割書:むかひしとも|いふなり》大相国家の仰として寛永四年播磨国にて初て
所領の地を賜ふ《割書:四万|石》同き八年加恩の事あり《割書:一万|石》左大臣家
の御時寛永十六年十二月遠江国懸川の城をたまふ《割書:七万|石》正保
元年正月十一日越後村上の城に移り《割書:十万|石》慶安三年六月九日
陸奥白川の城に移る《割書:十二万石そのゝち開発の田|一万五千石をくはへ領す》寛文二年十一月
【左丁】
所領を子息等にわかちゆつり入道して鈍斎と号し延宝
四年九月廿六日に卒す七十五歳とそ聞へし嫡子下野守忠平家
をつく《割書:十万石を領す二男三男か事 下にみゆ其四男吉左衛門忠清五男|造酒允忠当二人とも二千五百石ツヽをゆつられ忠当後に忠晴が》
《割書:所領を|合せ領す》
長門守藤原忠利能登守忠義か二男父か致仕せし時所領
わかちゆつらる《割書:一万|石》
越中守藤原忠以忠義か三男父か致仕せし時 所領わかち
ゆつられ《割書:一万|石》寛文四年五月廿八日廿七歳にして卒す
嗣なけれは 舎弟吉左衛門 忠晴を よつきとす忠晴忠義
か四男兄の家をつぎ叙爵して弾正君に任す