伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・上) - 翻刻

藩翰譜(四・上) - ページ 37

ページ: 37

翻刻

【右丁】 未竹千代君と申て幼くおはしませしを織田信秀かためにうばはれ 尾張国にとゝめられておはしませしうち贈大納【「言」脱ヵ】家も世をはやう せさせ給ひしに今川義元朝臣いかにもしてわか君をとり返し参らせん とて天文十八年十一月安祥の城を攻らる廣孝等まつさきにすゝみ 戦ひ織田三郎五郎信廣を《割書:信秀の子|信長の兄》とりこにす上総介信長竹千代丸を 返しまいらせて信廣を迎らるかくて義元朝臣若君を駿河の 国府にとゝめ置て岡崎の城には我兵をこめて守らす御領悉くに 押とつて知行しけるわか君十五の御年御元服あつて十七の 御年軍初あるへしとて岡崎の城に入せ給ふ豊後守廣孝宗徒の 人々とはかつて梅か坪広瀬等の城をせめられ 程なく又駿河の 【左丁】 国府に帰らせ給ひしかは廣孝御一門の人々普代の御家人等と 相議して石川安芸守天野甚右ヱ門共に三人打連て義元に参り わか君すてに成人に及給ひぬ今は本国に返し玉ふへきよし しきりにうつたへ申けれ共義元つゐにゆるし給はす義元うたれ 給ひしのち徳川殿御年十九才 岡崎に帰らせ給ひけり《割書:廣孝等|か今川へ》 《割書:さゝけし書の大略は元康すてに成人におよふ今は本国へ返したまふへし|家人の面々彼身にかはりてつねに駿府に付すへし是一ツ元康本国に帰らん|には駿河の御勢岡崎の城を守らるにおよふへからす是二ツ元康か本領国所の|地におゐてはかへし給るへき所也是三ツ今川殿これを見給て義元尾張の国|うちしたかへん事近きにありしからんのちこそ元康の祖父清康の領せられ|たらんほとの地こと〳〵くとつてまいらすへしなんそ岡崎の地のみを返し》 《割書:まいらせんとのたまへは力およばす本国|に帰りぬとくはしく伊束法師か記にみゆ》永禄四年の夏当国の吉良 義昭徳川殿に中たがふて東条の城にたてこもる廣孝仰を