翻刻
【右丁】
承て小牧山へ要害かまへ酒井雅楽頭正親と東条にをしよす
東条の軍兵藤浪畷に寄あふて戦ふ御方にもくつきやうの
兵おほくうたれしかと《割書:大久保太郎八|鳥居半六郎等》義昭の頼きつたる大将富永
半五郎忠元廣孝にうたれけれは義昭終に降人となつて
参らる《割書:富永は弓本多は鎗|にて戦ひしなり》此度の賞として富永か所帯をは
廣孝にそ下し給ひける同き六年の秋義昭又一向宗徒
の門徒等か大将となつて東条にたてこもる廣孝嫡子彦二郎
岡崎に参らせて人質とし我身土居の城に在戸呂針崎の
敵と戦ひ東条の城せむ《割書:此時彦二郎に御諱字を|たまはりて康重といふ》その忠賞又
東条の地を給ひ明る七年の夏梶の郷に要害を構て衍田原城を
【左丁】
攻降しやかて此城を賜り住す城近き ほとりこと〳〵く攻め取《割書:ル》
廣孝とる所の地七千余貫彼進退に任せらる同十一年春
遠江国懸川の城を攻られし時彦二郎康重生年十六才
父に随ひ高名す此年遠江国を平らけ給ひし時廣孝久野
の城に有元亀元年六月近江国姉川の合戦に廣孝先陣
承り康重父に随ひ父子ならひに高名し《割書:此時廣孝鑓疵を蒙り|又康重疵一ヶ所を蒙たりと云》
同九月織田殿御加勢の事望まれしに廣孝石川日向守家成二人
御名代として近江国に馳むかふ《割書:此時信長朝倉浅井え召志賀に戦陣|ありしか故也廣孝家成洲股【墨俣】にわたりし時に》
《割書:信長の使は木下藤吉秀吉こゝに来りむかへて志賀表の事は終り|ぬれと西国迄の聞えなれは彼表に来るへしといひしか志賀表に参陣すと云》同三年
十二月三方原の戦御方散々に成て引かへす 廣孝返し合て