翻刻
【右丁】
酒井 本多 本多《割書:豊後守》
本多《割書:飛騨守》本多《割書:縫殿助》井伊
榊原
【左丁】
酒井 《割書:付》備中守忠解 藩翰譜四之上
左衛門尉忠次は故左衛門 入道浄賢か子也《割書:其家の系図伝ふる|所かくのことし先祖》
《割書:は事つまひらかならず世に伝ふる所 異説まち〳〵なる事長けれは|今下に注す ○ 徳川殿の御先祖源親氏と申奉るはしめて三河国に|至給ひ坂井と云所にとゝまりて加吉【ママ】元年十二月御子壱人まうけらる|坂井五郎 親清といふ此後松平にうつり泰親をまうけ給ふ是徳川殿|の御先祖也 坂井五郎親清男子二人兄は小五郎親忠弟は与四郎親重と|いふ文明十一年七月十五日泰親の御子信光安祥をせめられし時坂井|五郎親清三十九才小五郎親忠廿歳与四郎親重十八才父子三人御方|に馳参りからめ手にむかひ城をせめおとす小五郎後に信光の御子親忠と|申し奉れはをのか名のりをあらためて酒井左衛門尉氏忠といひ入道して|浄賢と号すこれに男子二人兄は将監忠尚弟は左衛門尉忠清といひし|なり 与四郎 親重は雅楽助正親か父なりと云々此説つまびらか|なるに似たりされとも雅楽助政親の系図に合せかんかふるに大に|異なり 彼系図をあはせ見るへし ○ 並合記にはいはく酒井与四郎|忠則三河国成瀬に住す 後に大浜の下宮に蟄居す三河松平|の酒井これなり 成瀬七郎 忠房 太郎左衛門行忠親二人は正行寺に|居す此三人は兄弟にて新田の一族大給か子なり 紋かたばみと云々》