翻刻
【右丁】
《割書:此説ことにめつらし 此説のごとくなれは同し 流の|源氏なれと 徳川家の庶流には あらさるなり》はしめの字をは
小五郎と申す永禄の初 酒井将監忠尚そむきし後
故左衛門か家絶へからすと 仰ありて同小五郎忠次に
所領を賜ひ左衛門尉とめさる 《割書:世につたふる所にいはく初|廣忠卿十一歳にて駿河に》
《割書:まします時 天文五年四月八日酒井左衛門 卒す其子を将監と|申して父につく 永禄六年 徳川殿織田信長と組し 給ひし時|将監二心あるよしなれは討手をさしむけられしにうちもらしつ一向宗|の乱の時 将監上野の城に居す明れは永禄七年に城をのかれ出て駿河に|おちゆく其所領を甥の小五郎忠次に下さると云々 又岩淵夜話別集に|いはく今川義元織田殿にうたれ給ひし後酒井将監を召て今川氏真|元より父のあたむくはんといふこゝろさしもなく家人多けれともそれ|をいさむるもの一人もなし元康さま〳〵此事をすゝむれとももちゐ|さるのみにあらすかへつてうらみをふくむ 今川の家ほろふへき|ときすてに至りぬ此上はちからなし 元康か駿河におきし人質|すてなんとおもひたつ 汝か人質をも末〳〵はすてんと心得よと|仰ありしに将監は今川と中たかひし給わん事しかるへからさるよし》
【左丁】
《割書:をいさめて御前をたちしに 徳川殿かれか気色二心あるやうにおほゆる|そとすみやかに つわものをおこして おつかけ給へは をのかうへのゝ城に入事を|えすすぐに駿河へおちゆく将監所領をは 彼甥小五郎に賜て 左衛門尉と|めさると云々按するに前の説によれば 左衛門尉 忠次に所領賜しは永禄七年|の事にや 後の説とみれは永禄四年の事也 創業記考異にも一向宗乱|の下に此たひ酒井将監上野の城に たてこもる 将監はむかしも御敵と|なりしか此度も又一揆にくみすとのせ給へり 又一向宗乱の時左衛門尉|忠次一方の大将たれは岩淵夜話別集の 説の如くに 永禄四年に|忠次に所領賜りし事うたがふへからす○家忠日記増補を考るに|酒井将監天文十六年 織田弾正忠にくみして廣忠卿に そむきて|永禄六年 一向宗乱の時又徳川殿にそむくとしるす あやまれるにや|大久保彦左衛門物語に廣忠卿の御時の事しるしていはく酒井左衛門尉殿は|織田弾正忠と 心を合て 御城へつめて 石川安芸守と酒井雅楽助に|腹をきらせ玉ふへしとうつたふ左衛門 逆心して御城につめたりと聞て|各はせけれは左衛門尉ひきしりそき 普第の者二三人引具して織田|弾正忠へ出ると云々これ天文十六年の事也 又一向宗乱の事をしるして|いはく上野には 酒井将監殿逆心也そのゝち将監殿上野をあけて駿河へ|おちゆきたまふ一おと?おふて 上様か将監殿といふほとの威勢なれとも御主に|かつ事ならすしてそれより将監殿のうち絶てあとかたもなしと云々|これ永禄七年の事也大久保日記はまのあたりに見もしきゝもしたる》