翻刻
【右丁】
《割書:はしめ東照宮より所領の地を下し置れ其子半兵衛某父に跡をうけつき|候へとも当時は下総守か所領と罷成り候ひぬ其嫡子伊織は又父祖のあとを》
《割書:うけつき候へはあはれ其二男に候ものをは 召仕はれ 候いはやと 申けれは|頓て 半兵衛某か二男長次郎召出されて御小姓組にそなされしといふ》
此地海道の要害なれはとて望請ふて其城を修築す慶安四年
十一月廿五日又所領の地加賜り膳所の城にうつる《割書:七万|石》寛文二年
五月朔日大地震して 城崩れぬれは望請ふに此城もとより
分内狭くして 然るへからさる由を申して城郭を増し
築く同き四年九月十二日致仕十一月廿五日 入道して
浄有と号し同八年八月十一日卒す七十四才嫡子縫殿助
康長四十二歳にて明暦四年六月廿四日 父にさきたちて卒し
嫡孫隠岐守康宗【ママ】いまた幼なかりしかは二男兵部大【ママ】輔康将を
【左丁】
嗣とす康将其娘を以て康慶にあはせ延宝七年六月
十八日家をゆつる康慶叔父兵部少輔康将に家譲られて
我所領の内をわかち康将か子織部忠恒にあたへん事を
望請たりしかは 御ゆるしをかうふる
織部忠恒は兵部少輔康将か男隠岐守康慶康将か譲を
うけてをのか所領のうちをわかちて忠恒にあたへぬ
《割書:新墾田一万石なり忠恒|後に伊予守に 任ず》