翻刻
【右丁】
蒙れり関ヶ原の戦には後陣に随ひ軍終て後三河国吉田の城は
国中の人質を置れし所也本国なれは案内はしりたらん康俊馳下りて
守るへしと仰下され引返して彼城を守り明年所領の地を賜りて
同国西尾城に移る《割書:二万|石》これより後三河国に御鷹狩をせさせ給ふ
度々康俊か城を仮の御宿となされ物賜ふて其家従等に及へり
同八年将軍拝賀の御時康俊従四位下に上られ御沓の役に
候す大坂の兵起りし時に康俊嫡子下総守俊次と同しく仰を承りて
馳上り近江国膳所崎の城を守り大御所既に御上洛有しに及ひて
二条の御陣を守護し又仰をうけて河内国に向ひて賊徒等を
追払ひ大坂の城下備前島に陣取て城を攻む明れは元和三年の夏
【左丁】
兵再ひ起りしかは康政父子河内国須那に陣して奈良口の敵を
防き五月七日 城中の兵出戦ふに及ひ加賀勢の右より出て敵陣を
打破り嫡男下総守俊次二男美作守忠相等みつから首切て献る
凡康俊か手に取所の首百十三《割書:修理亮光忠か子半兵衛其首二ツをとり|其嫡子 伊織某も生年十五にて》
《割書:首二ツを取《割書:ル》大御所の御前にめされて|御感の おゝせ ありといふ》同三年所領の地加へ賜て膳所崎の
城に移る《割書:三万|石》此年将軍家御上洛の時其城に入らせ給ひ康俊
父子に物を賜ふ同七年康俊卒して嫡子下総守俊次家をつぐ
はしめ慶長十五年俊次叙爵して大坂両度の御陣に随ひ参らせ
父に嗣し年三河国西尾城に移る寛永十三年所領の地加賜て
伊勢国亀山の城に移る《割書:五万石○是よりさき寛永五年高力摂津守|忠房か母望請ふて兄にて候本多修理亮光忠》