翻刻
【右丁】
《割書:もつて 幕の紋とす 又橘を紋につくる事は かのあらはれし時|橘一ツ 御井のほとりに有しを見て 宮司此児の産衣に絵かき》
《割書:てけれはなり 其あらはれ出たる御井 今もありとぞ○按するに|系図には備中守共資は内舎人良門の第三男兵衛佐 利世四代 の》
《割書:孫たるよしみゆ藤氏の系図をみるに良門の男は右中将 利基|内大臣高藤二人のみにて利世といふ人を見すされと藤原系図に》
《割書:もらしぬるもしらす又共保より直政まて十六代のよし 家の|系図にしるせり 一条院の御時より 直政かむまれし頃まては》
《割書:およそ 五百六七十年におよびぬへし一世ことに四十年に及はん|ほとを経るとも猶としはあまりありぬへし おもふに家の系図下り》
《割書:もれたる人多かりぬへしや又按するに井伊介も同し流の藤氏|たるよし系図に見ゆ井伊介は武智麻呂の後遠江権守為憲か》
《割書:末葉にて工藤遠藤伊藤なとゝ同し流にて南家の藤氏なり|此系図のしるせることくなれは北家の藤氏にてこそあれいかに》
《割書:かく伝へしにやおほつか|なきことなり》足利殿の御末天下こと〳〵く
みたるゝに及て遠江の国人等多くは駿河の守護今川が
手に属す 共保か後井伊信濃守直平も今川にそ随ひける
【左丁】
直平二人の男子あり嫡男宮内少輔直宗二男彦二郎直満といふ
肥後守直親は此直満か男也けりはしめ直宗か子信濃守直盛が
父につく家つぐへき男子なかりしかは叔父直満か子肥後守直親にそ
家つかせん事を契約すしかるに直盛か郎【良】等小野和泉守直満か子に
主の家つかせん事をきらひて今川治部大輔義元に参りて直満か謀叛の
よしを讒し申ける程に天文十三年義元直満を駿河の国府に召て
急に誅せられ終りぬ其後元禄三年五月直盛義元と共に尾張
の国桶狭間の合戦にて討れしかは井伊か嫡流 既に 絶ぬ
肥後守直親か子兵部少輔直政いとけなくして父にをくれいま童にて
万千代丸と申せしより徳川殿に仕へ参らせ此おさなき者よのつねの