翻刻
【タイトル】
《割書:大|阪》錦画日々新聞紙 第□【廿?】九号
【本文】
明治八年四月三十日 邏卒(らそつ)井上徳三郎は西成三区上福嶌村を巡邏(じゅんら)
する時二人の童子(こども)本梃の先(さき)を鋭(するど)くし地に投(な)げて刺(さ)し勝負を
決(けつ)す互(たがひ)に争(あらそ)ひ挑(いど)みたるに近付き示(しめ)さんとせしに早く二童(二人)逃(にげ)て
其家に帰るを慕(した)ひたるに同村安藤佑七が悴(せがれ)米吉三木松なれば
親へ説諭(せつゆ)して最早(もはや)八才五才の童子 入学(にうがく)の年頃なるに
遊戯(ゆうげい)に耽(ふけ)らしむるはよろしからずと述(のぶ)るに家 困究(こんきう)にて
学校入費(がつこうにうひ)行届かずとこたへ□□□【ける?】を井上 不便(ふびん)に
思ひ二児(ふたり)を同村事務
所へ連(つれ)ゆき自(みづか)ら金一円
差出し入校(にうこう)の筆墨紙を
与(あた)へ後(のち)に戸長より五十銭戻り
学に導(みちびき)せしに親の歓喜(よろこび)
巡卒(じゆんそつ)の深志(こゝろざし)天意に叶ひ人民 保護(ほご)の
有様(こと)なりと実(じつ)に感賞(かんしやう)すべきなりと
報知六百五十五号にのせたり